1976年6月、ギリシャを出発したエールフランスの旅客機がパレスチナの過激派によってハイジャックされた。
ハイジャックされた旅客機は人質と共にアフリカのウガンダへ行ってしまいます。
この事件を解決すべくイスラエルの特殊部隊はウガンダへ飛んだ。
ハイジャック発生
1976年6月27日にイスラエルのベングルオン空港発パリ行きのエールフランス139便がパレスチナの過激派によりハイジャックされる。
139便は経由地であるギリシャのアテネ空港を離陸してすぐにハイジャックされた。
犯人の指示で139便は給油の為にリビアのベンガジ空港へ寄った後にウガンダのエンデベ空港に着陸します。
犯人達はベンガジとエンデベで139便の乗客から妊婦やユダヤ人ではない人達を解放しパリ行きの飛行機で送りました。
それから犯人達はイスラエルに収監されている同志の解放を要求した。
この要求をイスラエルに突きつける為に139便からユダヤ人だけ人質に取ったのだ。
アミン大統領

ハイジャック事件の舞台となってしまったエンデベ空港のあるウガンダ
当時のウガンダの指導者はイディ・アミン大統領
国際社会が非難を浴びていたアミンは反西側諸国の考えからパレスチナ過激派のハイジャック犯に協力するようになります。
ウガンダとイスラエルの友好関係からアミンが事件解決に動いてくれると期待していたイスラエル政府でしたが、事件が解決する進展が見えない事で救出作戦を決断します。
サンダーボルト作戦

7月3日深夜にイスラエル軍の救出部隊はC-130輸送機4機で出撃します。
救出作戦「サンダーボルト」の開始です。
翌日4日午前1時にエンデベ空港に到達した救出部隊はまず1機を着陸させた。この1機は襲撃部隊だ。
襲撃部隊はアミンの公用車に似せたベンツと警護車に見えるようにした2台のレンジローバーの合わせて3台でC-130から出た。
この3台がアミンの車列だとウガンダ軍兵士を騙しながら人質が監禁されている旧ターミナルビルへ向かう作戦だった。
しかしウガンダ軍はこの車列を止めて確認しようとしたので救出部隊は発砲、隊員は車から降りて旧ターミナルビルに突入します。
突入部隊はハイジャック犯を射殺し、制圧すると人質を確保します。
新たに着陸した2機のC-130から応援部隊が降りると救出部隊はウガンダ軍を空港から撃退し、残る1機が着陸すると人質達を乗せました。
人質105人の内13人が死傷し救出部隊に5人の戦死者が出ますが遠方に連れ去られた人質救出を成功させ「エンデベの奇跡」と称されるようになります。
※画像は一部イメージです。
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