1943年2月、ドイツ軍は東部戦線でソ連軍の大攻勢を受けていた。
そんな時に戦線を救ったのはマインシュタイン元帥
第三次ハリコフ戦でのマインシュタインによる勝利の理由を解説します。
独ソ戦1943冬
第二次世界大戦でドイツとソ連が戦う独ソ戦
1941年6月から始まったこの戦争は1年半でドイツ優勢からソ連優勢に戦局は変わりました。
1942年夏からのスターリングラード攻防戦でドイツ軍は敗北したからです。
ソ連軍は勢いに乗って現在のウクライナ南部で2個方面軍による大攻勢に出ました。
ドイツ軍は劣勢ながらもソ連軍を防ぎますが戦線の崩壊は時間の問題でした。
マインシュタインの説得とハウサーの独断
このソ連軍による大攻勢に立ち向かうドイツ軍の司令官は南方軍集団司令官であるエーリッヒ・フォン・マインシュタイン元帥です。
彼はヒトラーに呼ばれて総統大本営で戦況報告と共に前線部隊を大きく後退させる事を提案します。
ヒトラーは提案に反対しますがマインシュタインの説得によって許可します。
しかしソ連軍は依然として前進を続けハリコフに迫ります。
ヒトラーはハリコフ死守を命じますが武装SSの装甲軍団司令官であるパウエル・ハウサーSS上級大将は死守は不可能と言う現実から独断でハリコフから撤退します。
ドイツ軍反撃
ヒトラーはハウサーの独断に怒り南方軍集団司令部へ駆けつけマインシュタインへハリコフをすぐに取り返せと命じます。
しかし20km先にソ連軍が迫ると知るやマインシュタインに作戦の自由を与えてドイツへ戻ります。
ソ連軍の先頭部隊に燃料不足が生じていると知ったマインシュタインは2月19日に反撃を開始します。
反撃はハリコフを独断で撤退したSS装甲軍団によって始められ3月15日にはハリコフを取り戻します。
将軍の意志と交渉力が勝利につながった
第三次ハリコフ戦は劣勢の後手から勝利に変えた戦いとして有名です。
では何故勝てたのか?
ヒトラーに臆せず意志を貫き説得して作戦を思う通りに出来たマインシュタインの交渉力が大きいでしょう。
しかしそんなマインシュタインはヒトラーからの不興を買ったせいか1944年に3月に予備役され前線から去ってしまうのです。
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