祖母は田舎から出て、県内でも都会の方の工場などもたくさんある町の学校に通っていました。
祖母のお父さんが女でも勉強が好きなら学歴をということで、学校に出してくれたそうです。
そんな学校生活を送っていた祖母にも戦争は身近なっていき、日常生活の中でも空襲警報がなり響くとようになり、教室から飛び出しグランドにほった防空壕に逃げ込んだそうです。
ある日、いつものように空襲警報がなり、みんなで走って防空壕に向かっていたときのことです。
空から落ちてきて爆弾が前を走っていた先輩に当たり、爆発はしませんでしたが先輩とともに地面にめり込んだように見えたらしく、祖母たちは泣きながらそれを避けて、命からがら防空壕にたどりついたそうですが、一歩違えば、誰が当たってもおかしくない状態だったし、爆発でもしたら全員の命はなかったと話していました。
また祖母のところに落ちてきた爆弾は、油脂焼夷弾という油でできた爆弾だったそうで、地面に落下して爆発するとグランドが火の海になってしまう爆弾だそうで、校庭の脇にある田んぼの水路のような水の流れているところにも、身をかがめて隠れたといっていました。
だんだんと戦争が激しくなってくると、祖母は田舎に戻ったそうです。
毎年8月が来ると、「あの頃を思い出す。私のところに落ちてきた爆弾は油脂焼夷弾といってね」とよく話してくれました。「油脂焼夷弾」という言葉はことあるごとに話してくれていたので、今でも話してくれた祖母の声と顔とともにこの言葉が耳に焼き付いています。
戦時中には服に血液型と名前を書いた布を貼っていたらしいのですが、祖母が「私はA型なのにあのころB型と書かれていた。検査も今ほど正確でなかったのだろうね。もし輸血していたら死んでいただろうね。」と話していたことを今も覚えています。
※画像はイメージです。
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