父の青春時代

この話は、今生きていたとしたら100歳になる、31年前に亡くなった父から子供の頃に聞いた話です。
父は私が小さい頃、一緒にお風呂に入ると軍歌をよく歌っていた記憶があります。

青春時代を戦争に捧げた父。
今から思えばきっと父にとっては、その頃が、まさに青春時代だったのでしょう。

状況はとても厳しかったのですが、若い頃と言って思い出されるのは軍歌だったんだろうな~と思います。
私は自然と軍歌を覚えて訳も分からず、楽し気に父と一緒に歌っていたものでした。

「同期の桜」、「ラバウル小唄」などは、今でもはっきり覚えています。
テレビなどで軍歌が流れると、若い頃の父のことを思い出してしまいます。

父は、時々ですが、ふと戦争中の話をしてくれる時がありました。
今だったら、もっともっと聞きたいことが沢山あるのですが、まだ小さかったのでそれほど戦争に興味もなく、父の話を漠然と聞いていたものでした。
もっと詳しく、その時の父の思いを聞いておけばよかったな~と今になって後悔しています。

父は、太平洋戦争で南方のパプアニューギニアの島にあるラバウルというところで戦争に参加していたそうです。
戦いは過酷なもので、激しくなると部隊がいつも半分に分かれるのですが、そのたびに自分と別れた部隊の人たちがやられて亡くなっていったそうです。
それを思い出してか、その話をするとき、父はすごく悲しそうな顔をしていました。

何度もその二分の一を繰り返し運よく助かった父でしたが、あるときマラリアという病気にかかってしまいます。
高熱が出て、悪寒、頭痛と何日も何日も死ぬ思いをして、あまりの苦しさにもう死んでしまうのではないかと思っていたそうですが、この病気からも運よく助かったそうです。

毎日とても、気の休まる日はなかったそうですが、唯一嬉しそうに楽しそうに話していたことが思い出されることがあります。
戦争中はどこも食糧難だったそうですが、ここラバウルには南方ならではのバナナなどの果物が豊富にあり、お腹を満たすには大変助かっていたそうです。

ただ、そういったものは、なかなか慣れた人にしか収穫できなかったのですが、現地の人たちが高いところにある果物などを本当に上手に、そう・・・まるでサルが木に登るように軽やかにとってくれたそうです。
それが本当に嬉しく助かったと、話していた父の顔が今でも思い出されます。

※画像はイメージです。

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