この話は、私がイギリスに住んでいた頃、友人のおばあさんから聞いた話です。
このおばあちゃんは第二次世界大戦中にロンドン空襲があったときに、イーストエンドというロンドンの東部の街に暮らしていたそうです。
戦争はすでに始まっていたので、庶民の暮らしはどんどん貧しくなっていき、おばあさんは当時丁度子供を産んで育てている最中で、貧乏暮らしのため長屋に住んでいました。
そこで、しょっちゅうドイツ軍の空襲があったそうなのですが、そのたびに地下室に隠れたりしながらの生活だったそうです。
ある夕方、まだ空襲がありおばあさんは地下室に隠れると爆弾が落ちてくる音が聞こえてきました。
相当酷かったそうで、もうだめだと思ったそうです。
そして空襲が去って家に戻った時、なんと屋根が壊れていて、浴室の湯舟の中に爆弾が落ちていました。
おばあさんは、もし湯舟にお湯が入っていなかったらあの爆弾は爆発して、死んでいたでしょう。
おばあさんは、「生き残ったから言うけど、私はラッキーよ。」と言っていました。
その後も空襲がどんどんひどくなったので、おばあさん一家はロンドンから車で二時間ほど離れた郊外に引っ越しをしたそうです。
しかし、引っ越しをしていった先では同じイギリス人でありながらも、ロンドンの英語を話す人はアクセントが違うと言われ、よそ者扱いをされ、なかなか打ち解けてもらえません。
第二次世界大戦では日本とイギリスは敵国だったわけですが、それでもおばあさんは「私達も疎開当時は同じ国民であるイギリス人からロンドン(都会の人)出身というだけでこの土地の人達の仲間に入れてもらえなかった。とても悲しい思いをしたよ。」と話してくれたのでした。
※画像はイメージです。
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