戦時中に神戸に住んでいた親戚のお婆さんから生前に聞いた話です。
戦争末期の出来事で彼女は40歳前後だったはずです。
神戸がB29爆撃機による大規模空襲を受けた夜、空襲警報が出ていなかったのか彼女は防空壕に避難することもなく、自宅の窓から外を見ていたそうです。まだ遠くにいるB29から投下された焼夷弾を、はじめはそれが焼夷弾だとは分からず、何か花火のようできれいだと思って見物していたそうです。
しかし、まもなく爆撃機が上空に近づいて、彼女は生きた心地がしない経験をすることになります。
焼夷弾というのはいわばナパーム弾の先祖のような兵器で、爆撃機から投下された親から複数の子機に、さらにそれぞれの子機がまた複数の筒状の孫機にと分かれ、それぞれの孫機が火を噴きだすという恐ろしい兵器です。
花火にように見えたというのは、たぶん孫機が火を噴きながら落下する様だったのでしょう。
また幸運にもその不発弾に当たることもなく、家族そろって無傷でした。
爆撃が止んだ後、お婆さんは近所の人々と一緒に徹夜で「山じゅうの火を消して回った」そうです。要するに近隣の火災を一晩中できるだけ消化したということのようです。
後に持病を患ったのは、この夜の無理がたたったせいだとも本人はこぼしていました。
お婆さんが亡くなった後、親戚に聞いたところでは「お婆ちゃんが空襲の話をすると、いつもいつも結局自慢話になっちゃうのよね」だそうで、この話はどうやら言わば彼女の十八番だったようです。
幸か不幸か私自身は一回しか聞いたことがありませんが、この話を思い出すたび働き者と言われ、おそらくそれが自慢だったお婆ちゃん。
元気なころのテキパキ動く姿が目に浮かびます。
※画像はイメージです。
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