動力を使った有人飛行機を初めて飛ばしたのはライト兄弟、というのはよく知られています。
それでは日本人では??
グラーデ単葉機
ライト兄弟のライトフライヤー号から遅れること約6年、1909年にドイツで動力付き有人飛行機・グラーデ単葉機が飛行に成功しました。
翼幅10.5m、全長7.5m、自重225kg、空冷4気筒24馬力、最大速度58km/時、布張り翼。
写真を見ると昔の竹細工模型飛行機の大型といった風です。
操縦士は主翼と機体の結合部下に吊り下げられたカンバス地製の椅子状の操縦席に乗りますから、 どちらかというと今のハングライダーを連想してしまいます。
それにエンジンと車輪を取り付けただけの機体は、今の鳥人間コンテストの優勝機の方がずっと飛行機らしい形です。
日本人が買いに行った
そんな玩具の様な飛行機を、翌1910年(明治43年)に一人の日本人がドイツまで行って買い付けました。
その人は日本帝国陸軍歩兵大尉・日野熊蔵。
明治43年12月4日に代々木練兵場において、日野はこのグラーデ単葉機で、高度10m、距離60mの飛行に成功しました。
これが日本人の動力付き有人飛行の「初」となる筈だったのですが、 立会人がいなかったという理由で残念ながら公式飛行記録とはなりませんでした。
ですから公式の初飛行は、別の飛行機で徳川好敏大尉が飛んだ12月19日になっています。
臨時軍用気球研究会
グラーデ単葉機の入手を企画したのは臨時軍用気球研究会という、 気球と飛行機の軍事利用研究を目的として帝国陸海軍が設置した組織です。
当時は飛行機の軍事的価値が、気球と同程度にしか認められていなかったのです。
それでも、うどんやそばが一杯4銭だった時代に、軍は8092円9銭もかけて飛行機を購入しました。
現在の素うどんを500円としたら1000万円以上になります。
軍事的利用価値はないと思われて当たり前だった飛行機にそれだけの投資を即座に決定した、当時の日本軍が持っていた意外な先進性と柔軟性には驚かされます。
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参照:「続々・飛べヒコーキ」 佐貫亦男著
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