私が小学4年生の頃、夏休みテレビで戦争の映像が流れてると祖母が話をし始めました。
祖母の実家は地元でも大きな農家の地主の長女として生まれ育ち、子供の頃から農作業を率先して行っていたそうで、あまりにも農作業に熱心になりすぎてホントか冗談か解りませんが、8人兄妹で最後に結婚したのが自分だったと話してました。
結婚して数年後に第二次世界大戦勃発。
祖父の口から戦争の話をすることはなく、祖母の話では祖父は戦地へ駆り出されカンボジア辺りだったと思いますが食料調達係として命懸けで食料を船で運んでいたそうです。
祖父が不在の間祖母は幼子を抱えながら農作業に勤しみ、出来上がった作物を他の土地にいる兄妹に渡すため大八車に沢山の作物を乗せ、その周りにはワラや木箱、木材などで作物が見えないように囲って積み上げ物取りに目をつけられないよう隠すようにして4つ先の町にいる妹の嫁ぎ先へ運んでいったと。
しかし、その道中門番というか関所みたいな所があり、監視する兵隊さんがいるらしく、その兵隊さんに作物が見つかってしまうと没収される恐れがあるため、敢えて事前に兵隊さんに渡す作物を準備してヤバイと思ったら渡して見逃してもらってたとのこと。今で言う袖の下(賄賂)ですね。
そこを乗り越えると妹の嫁ぎ先へ無事に食料を届けることができて、休むのもソコソコで自分の家へ帰っていったと言います。昔の人の体力はすごいなぁと子供ながらに思って聞いてました。
そんな大変な思いをしてきたのに顔はニコニコ。
今は笑って話せるもので、スリルがあって面白かったと言ってました。
※写真はイメージです。
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