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現代のフランス外人部隊~第2外人パラシュート連隊~

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アフリカの国々が独立した事でフランス外人部隊はアフリカから去り、規模を縮小し戦う目的も変わりました。
現代のフランス外人部隊を第2外人パラシュート連隊から見て行きます。

目次

第2外人パラシュート連隊

1960年代にアフリカのフランス植民地だった国々が独立するとフランス外人部隊はアフリカから撤収する事になります。
情勢の変化により2万人だった外人部隊は8000人に縮小する再編成が行われます。

そうした中で生まれたのが第2外人パラシュート連隊です。
1955年からあったこの連隊は空挺部隊としてアルジェリアで行動していました。
アルジェリアから地中海のコルシカ島カルヴィに移転すると連隊は即応部隊に様変わりする事になります。

専門性の高い部隊

第2外人パラシュート連隊の特徴は所属する中隊が専門別に分かれている事です。
第1中隊は市街戦、第2中隊は山岳戦、第3中隊は水陸両用作戦、第4中隊は狙撃や爆破となっています。

また兵站を担う第5中隊に整備中隊や偵察支援中隊もあり独立して動く機能も備わっている。コマンド部隊と言う特殊部隊も連隊にあるとされている。
第2外人パラシュート連隊は空挺兵としてだけではなく、専門分野の習得も必要とする高度な部隊です。そんな部隊が即応部隊として常時12時間以内に出動できるように待機している。

各地の紛争へ出動

第2外人パラシュート連隊が高度な部隊として改編された直後の1969年にアフリカのチャドへ出動し、現地の反政府軍と戦います。
1978年にはザイール(現在のコンゴ)で連隊は救出任務を命じられます。
ザイールの鉱山で働くヨーロッパの人達がコルウェジという町で反乱軍に囚われていました。反乱軍に敵わないザイール政府の要請を受けたフランスは第2外人パラシュート連隊を派遣します。

5月19日に連隊は空挺降下を行い、反乱軍を倒し2時間でコルウェジ町を掌握します。翌朝には第4中隊がコルウェジに到着すると狙撃で反乱軍に打撃を与えコルウェジの制圧を確実なものにし、任務を達成しました。
1983年にはパレスチナ解放機構のベイルート退去を監視する任務に就いた。この時に暗殺の可能性があるアラファト議長の護衛を連隊の特殊部隊が行った。

1992年にはボスニア内戦でサラエボ空港での監視任務を行うなど、それまでの外人部隊が行ったフランスの国益の為から、国際社会の求めに応じて出動するようになっていました。
特にチャドやザイールのように、かつてフランスの植民地だったアフリカの国々からの要請で出動するのが現代のフランス外人部隊なのです。

eyecatch source:davric, Public domain, via Wikimedia Commons

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