皆さんは死後どのように弔われたいですか?
現代日本では火葬後に納骨されるのが主流ですが、最近は墓標代わりに植物を植える樹木葬や海に散骨する海洋葬、遺灰を入れたカプセルを宇宙に打ち上げる宇宙葬など、従来では考えられぬユニークな葬儀も増えてきました。
今回は世界各地で見られる、珍しい葬送儀礼をご紹介していきたいと思います。
平民は風葬が主流だった 京都三大風葬地の謂れ
平安時代の日本では山野に死体を放置し、野生の鳥獣に食べさせる風葬が最も一般的でした。特に有名なのが京都三大風葬地で、嵐山の北西に化野、清水寺付近に鳥辺野、船岡山西側に蓮台野(紫野)が位置します。
時は平安初期。
疫病の蔓延を危惧した真言宗開祖・空海は、死体から生じる瘴気が病の原因と睨み、都の住人たちに土葬を勧めました。
が、それが出来たのは皇族貴族のみ。大前提として棺桶の注文や担ぎ手の手配、墓穴を掘るのにもいちいちお金が掛かる為、埋葬費用を賄えぬ平民は野山に捨てて来るしかありません。「化野」の由来が「悲しい」「儚い」を意味する古語の「あだし」であることからも、親族の遺体を泣く泣く放置せざるを得なかった、当時の人々の無念が伝わってきませんか?
死者の魂を天に送るチベットの鳥葬
チベット仏教およびゾロアスター教の信徒は、遺体を解体したのち野に撒いて鳥に捧げる鳥葬(天葬)を行ってきました。チベットにおける鳥葬の起源は西暦1380年のムスタン王国建国時に遡り、現在も一部地方で続いています。これはゾロアスター教が生まれた古代ペルシアも同じで、死者の肉を削いで動物に与える風習が受け継がれてきました。
チベットの葬儀を語るなら塔葬(霊塔葬)も外せません。
これは一部の貴族や高位の僧侶、生き仏のみに許された最も名誉ある葬送儀礼で、香料を混ぜた水薬で遺体を隅々まで清めたのち、豪華絢爛な宝壇に安置してバター油の灯明で囲み、様々な宝石や金銀で飾り付けた霊塔の中に納めます。現代では故人の遺灰や遺骨を納める方式に変わり、ダライ・ラマやパンチェン・ラマらが葬られてきました。
鳥葬の最大の目的は死者の魂を天へ送り届けることで、鳥に食べさせるのはその過程に過ぎません。葬儀後の遺体は郊外の荒野にある鳥葬台に運ばれ、そこでハゲワシの餌になります。解体は血の匂いで猛禽を誘き寄せる為に避けて通れぬ通過儀礼であり、肉の抜け殻を動物に与えることで死者の魂を解放できると信じる、チベットの人々の崇高な営みでもありました。
チベットには鳥葬専門の解体職人が存在し、彼等の手に掛かれば石で骨まで砕かれ、後には何も残らないそうです。
解体職人を雇えない貧民層は仕方なく水葬で弔いますが、川に流す際も死体の切断は必須。これと対照的なのがヒンドゥー教徒が多いインドで、国が管理する火葬場で死体を火葬したのち、拾い集めた遺灰をガンジス川に流します。
実はガンジス川は英語読みで、本来の名前であるガンガー川は、ヒンドゥー教の神話に登場する川の女神ガンガーに由来します。裏を返せば清濁併せ呑む大河を神格化した存在こそガンガーとも言え、市井の人々は遥か昔から、母なるガンガーを畏れ敬ってきました。
ガンガーに遺灰を流す行為はそれ即ち死者の罪を洗い清めることで、遺族は迷える魂が輪廻の苦しみから脱却し、真実の悟りに至れるようにと祈ります。
現地民がガンジス川で沐浴するのも同じ理由。遺族は案内人に促され日付を記帳し、家ごとに決められた河岸で遺灰を撒きます。
先祖代々の墓所を持たぬヒンドゥー教徒にとって、墓参りとガンジス参りは同義なのです。
片やゾロアスター教は死体を悪魔の巣と忌み嫌い、火を神聖視する古代宗教。故に神を冒涜する行為として火葬を禁じ、死体は直射日光による乾燥と白骨化を経てダフマと呼ばれる崖穴に曝葬(風葬と同じようなもの)されるか、道端に打ち捨てられハゲワシの餌とされてきました。
ニューオーリンズの音楽葬とガーナの棺桶ダンス
ジャズ葬のはじまりは20世紀初頭ルイジアナ植民地時代。黒人たちによって結成された軍隊式ブラスバンドが地元の葬列に付き従い、行き帰りに葬送曲を奏でる慣習は歳月を経るごとに発展を遂げ、今やすっかりニューオーリンズ名物と化しました。
インパクト抜群の名称に反し演奏曲は必ずしもジャズとは限らず、現在は音楽葬の呼び名の方が一般的。
早死にしたミュージシャンを音楽葬で弔うのはニューオーリンズの伝統と言え、その際は喪主が呼んだブラスバンドが棺と並んで歩き、『聖者の行進』に代表される古き良きアメリカ民謡や讃美歌の調べに乗せ、墓地へと送り届けます。
帰り道で合流した野次馬の群れはセカンド・ラインと呼ばれ、パラソルやハンカチを空中で振り回すパフォーマンス……セカンド・ライニングで、肉体から自由になった死者の霊魂を祝福しました。
珍しいところではガーナの棺桶ダンスに注目。これは棺桶の担ぎ手のダンスに合わせ、その場に居合わせた人々が一緒に踊るというもの。運搬役はサングラス+スーツ+謎の三角帽子を着用した男性たちで、フォーマルな装いがばっちりキマっています。
ガーナの人々は死を新たな始まりと考えるため辛気臭い葬儀を好まず、歌や踊りで来世への旅立ちを祝福するのが流儀。とはいえ棺桶ダンス自体の歴史は浅く、ブームに火が付いたのはここ数年。少し前にSNSやYouTubeでバズったので、動画をご覧になった方もいるかもしれません。興味がある方は「@coffin dance memes(コフィン・ダンス・ミームス)」でinstagramを検索してください。現地の職人が腕をふるった、オーダーメイドの棺桶が見られますよ。
棺桶のデザインは故人の趣味や職業、生前の好物から着想を得ているらしく、漁師の棺桶にデフォルメした魚を採用した他、寿司やパンといった食べ物や煙草や帽子などの愛用品、愛犬の似顔絵が描かれるケースもありました。
断崖絶壁に棺桶を吊るす!?フィリピンの懸棺葬
最後に紹介するのはフィリピンの懸棺葬。これはルソン島北部サガダに住むイゴロット族の風習で、実に2000年以上の歴史を持ちます。
中国語で懸棺(悬棺)、英語でハンギング・コフィンと訳されるこの葬送儀礼では、棺の寸法に合わせて死体をできるだけ小さく折り畳むことが肝心。その工程に用いる木製椅子を現地の言葉で「サンガジル(sangadil)」、「死の椅子」と称します。
藤の蔓で椅子に固定した死体は毛布に包み、煙でよく燻して腐敗臭を消したのち、玄関前に数日放置してください。乾燥して縮んだそれを全長1メートル程の棺桶に納め、死の椅子とセットで絶壁に吊り下げます。入りきらない場合は骨を折ったり切断して無理矢理詰め込むのも可。
棺には幸せと富、永遠の魂を象徴するヤモリが彫られ、死者の魂を天へ近付けるべく高い所に置いた、イゴロット族の死生観が垣間見えました。
崖に吊るすのは野生動物に食い荒らされるのを避け、首刈り族による頭の持ち去りを防ぐ為とも言われています。
自然死した者だけが吊るされるのも面白い特徴で、死者の魂を輪廻に戻す儀式を連綿と語り継ぐ、イゴロット族の文化的背景に興味が尽きません。観光客の立ち入り許可が下りているのはエコーバレーのみですが、懸棺葬の風習自体はサガダの至る所に残っているので、これを機に調べてみるのも面白そうですね。
葬儀のやり方から見えてくる人々の死生観
以上、世界各地の珍しい葬送儀礼を紹介しました。あなたはどの葬儀で弔われたいですか?ぜひご意見を聞かせてください。
筆者は参列者が音楽で送迎してくれる上、誰でも飛び入り参加可のジャズ葬に惹かれました。
「葬儀は生きてる人の心の整理」の為とも言いますし、せっかくなら賑やかな方が嬉しいですよね。
※画像はイメージです。


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