1939年に勃発した第二次世界大戦でドイツは開戦直後からイギリス軍の空襲を受けていました。
夜間に襲来するイギリス爆撃機にドイツ空軍はどう立ち向かったのでしょうか?
ドイツ本土空襲
1939年9月4日にイギリス空軍の爆撃機が、ドイツ北部のヴィルヘルムスハーフェンの軍港を爆撃
ドイツへの宣戦布告をした翌日から、イギリス軍はドイツ本土への爆撃を開始しました。
12月18日の作戦で22機の英爆撃機がドイツ軍の迎撃で15機を失う大損害を被ります。この18日の出撃が昼間であった為に、多くのドイツ軍戦闘機の迎撃を受けたからでした。戦闘機の迎撃はドイツ軍がレーダーによる警戒態勢が十分にあった事を意味していました。
この損害からイギリス軍は、戦闘機が多く飛ばせないであろう夜間に爆撃を行うようになります。
夜間戦闘機隊
爆撃作戦を夜間に変えたイギリス軍にドイツ軍は夜戦の専門部隊を作る必要に迫られます。
こうして1940年6月20日に第1夜間戦闘航空団を編成します。
使用する機体は戦闘機であるBf110でしたが、爆撃機のJu88やDo217やDo215も配備されました。どの機体も機関砲やレーダーを搭載する改造をして対爆撃機の戦闘機となりました。
夜間防空戦のシステム
夜間戦闘航空団の戦い方は地上との連絡をし、サーチライトに照らされた敵爆撃機を迎撃すると言うものだった。
だが、これでは敵機の位置を把握にするには不完全でした。
その問題を解決したのがレーダーでした。
カムフーバー・ラインと呼ばれる、複数のレーダーにより探知した敵爆撃機を司令部からの連絡で誘導した夜間戦闘機が迎撃すると言う、明かりを必要としない戦い方も導入された。
サーチライトやレーダーでの探知に通信が夜間迎撃作戦では大いに役に立ちました。
これに加えてイギリス本土の上空で英爆撃機の離陸や帰還を狙った反撃も実行されました。
苦闘の始まり
防空システムと作戦を整えたドイツ空軍でしたが、イギリス軍は1000機爆撃のような数で押す作戦を実行します。
これに加えて1941年6月からのソ連との開戦による戦線の拡大は夜間戦闘機部隊から一部を他方へ派遣する事態にもなります。
eyecatch source:No 5 Army Film & Photographic Unit, Wilkes A (Sergeant), Public domain, via Wikimedia Commons
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