福島県に住んでいた祖母。
18歳で玉音放送を生で聞くこととなりました。
目次
福島県での暮らし
祖母の家はその地区では有名な質屋さんでした。
田んぼもたくさん、お金もたくさん、祖母は裕福な暮らしをしていました。
毎日白米をしっかり食べて、学校へも綺麗な制服を着て通っていました。
祖母のアルバムを見たことがあるのですが、他の子どもたちよりもずっとかわいい服装で学校に通っていました。
戦争をどう感じていたのか
祖母はあまり戦争のことを話しません。
よほどつらい経験があったのか・・・と思いましたが、そうではなかったのです。
田舎で裕福に育った祖母、あまり戦争について考えなかったというか、あまりわかっていなかったそうです。
だから話さないだけのこと、自分の思い出なんて、そんなたいしたものじゃないから、と言っていました。
18歳で生で聞いた玉音放送
祖母が18歳の1945年8月15日正午、天皇が終戦を告げる玉音放送が流れました。
「忍び難きを忍び…」は有名ですが、祖母は最初、何を言っているか全くわからなかったそうです。
18歳といえば、もう大人。とはいっても、言葉が難しくて、何を言っているか分からなかったと答える祖母。
周りの両親や、親戚、地域の人、その大人の反応を見て、ようやくわかったそうです。
「ああ、もう戦争は終わったんだ」と。
自分はこれまでと同じような生活をしてきて、でも勉強は戦時中ならではの教育を受け、質屋の実家から金属類をすべて奪われ、それでもあまり変わらない生活を送っていた祖母。
玉音放送といえば、皇居へ向かって土下座をしている人の写真をよく見かけますが、田舎の18歳の少女には、少し難しい内容だったということです。
※写真はイメージです。
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