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曾祖父の金の延べ棒は今どこに?

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この話は私が小学校低学年のころ、曾祖父から聞いた話です。
曾祖父は戦前上海におり、その頃の生活から戦時中の出来事になります。

曾祖父は戦前、上海で貴金属と時計店を経営していたそうです。家族と中国人の20人くらいの従業員さんと懸命に働き、かなりの財を築いた曾祖父。
日本へ休みに帰国するときは、今で言うところのアンティークのスーツケースを何個も船に積み、帰国し、日本で別宅を建て、優雅に別荘感覚で使っていたそうです。

いよいよ日本と中国の雲行きが怪しくなっていき、日本に完全帰国をしなければならなくなったとき、曾祖父は金の延べ棒を何とかして持ち帰ろうとしましたが、ただの1本たりとも持ち出せませんでした。

そこで曾祖父は数えきれないくらいの金の延べ棒を絶対に見つからないように、自宅の池の中に隠したそうです。
戦争が終わったら、もう一度上海で商売を始めるために。

その作業は夜間に家族だけで行い、決して周りの誰にもばれないようにしたと、まるでいたずらっ子のように茶目っ気たっぷりに話してくれました。かなり広い邸宅で門番もいたので、彼らにも見つからないように作業することは大変だったと。
池に沈めるときには、どうやって沈めたのか、目印はこういう風にしたんだと話す様子を今でも覚えています。

帰国の際に、金目のものは大事な時計や指輪くらいしか持ち出せなかったと悔しそうに話しておりました。
私が小学校低学年のころ、曾祖父は90歳前後。
「○○ちゃんが大きくなったら、ひいおじいちゃんと一緒にあの塀を見つけにいこうね」
と笑いながら言っておりました。

何度も何度も・・・ときに住まいの住所を見せながら。半分冗談、半分は本気だったのだろうなと今でも思っています。
金の延べ棒、数十本は今の価値にしたとんでもない価格になりそうです。

戦後、曾祖父は日本で貴金属のお店を再開するのではなく、パン工場を作り成功しました。「今」、一番必要なものはは食べ物なんだと、商売上手な曾祖父の判断だったのでしょう。
亡くなる直前「ひいおじいちゃんは行けなくても、○○ちゃんが行くんだよ、延べ棒見つけるんだよ」と言っていましたが、
いまだに探しには行っていません。

戦争といえば、今でもこの話を思い出します。

※画像はイメージです。

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