死に際まで話さなかった満州での話

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私が大学院生だった頃祖父から聞いた話です。

太平洋戦争中、祖父は満州に行っていました。
話を聞いた当時、祖父は余命数ヵ月と医師に言われて、ボケてきた祖父が今まで決して語ることはなかった、戦争の時の体験を私に話してくれたのです。

祖父は満州で伝令兵として駐在していました。
戦地に行ったといっても伝令兵でしたので、最前線で戦ったことはなかったようです。

話したときも人を殺したことはなかったと言っていました。
当時二十歳かそこらだった祖父は、隊長などの上官に可愛がられていたそうで、祖父の話によれば、伝令兵だったのも上官の配慮によって戦場から離れたところにつかせてもらったと言っていました。

祖父の部隊はおそらく占領したのだと思いますが、集落のいくつかの家を借りた拠点から戦地に赴いていたようです。
そこで満州の女性の方が作ってくれた、水餃子やジャージャー麺がとても美味しくて感動したそうです。確かに振り返ってみると、祖父は戦争の話をする前から餃子などの中華料理が好きだったなと思っていましたが、これがきっかけかと納得しました。

また、集落の人は身の回りの世話などとても良くしてくれたのだそうです。「戦争中でなかったら友人になれたんだろうな。」と、言っていました。

戦地で祖父が一番怖かったと言っていたのは、野犬だそうです。
野犬が一番怖いだなんて・・・祖父は戦地にいながらそれほど辛い体験をせずにすんだようです。

任務を終えた祖父の隊は、日本へ帰国することになったのですが、そこで悲劇が起こりました。
隊が乗っていた列車が爆破され祖父の隊はかなりの負傷者を出し、祖父のことを可愛がってくれた上官もこの時亡くなってしまったそうです。

祖父は自分が無事だったことを大層ありがたく思ったそうです。
お国のために死ぬのは本望という時代ですから、口に出すことはためらったそうですが『生きてて良かった。』と思ったとおもいました。
その後、祖父は無事帰国して、また戦地に行くことはありませんでした。

しかし祖父の弟は激戦区といわれた南方へ行って命からがら自宅まで帰ってきたものの、体にあらゆる虫がわいて死んでしまいます。その姿を見て、祖父は戦争のむごさを痛感したといいます。

死ぬ間際まで話したくなかったのは、この悲痛な体験を思い出したくなかったからでしょう。
しかしいざ自分が死ぬときになって、やはり話しておかなくてはと思い私に話してくれたんだと思います。


Writing by うちよ
30代前半 手芸が趣味、洋服から小物までなんでも作ります

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