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日本海軍が練り上げていた海戦「漸減邀撃作戦」

太平洋戦争の前に日本海軍はアメリカ海軍との戦いを想定して、漸減邀撃作戦と言う作戦案を立てていました。
真珠湾攻撃により実現しなかった日本海軍の作戦とはどんな計画でしょうか。

目次

アメリカ海軍の対日戦計画

アメリカが日本に対して軍事的に構える事を考えるようになったのは、明治時代の日露戦争で日本がロシアに勝利した時からです。その勝利で東アジアで日本が一大強国となったからです。アメリカ海軍としてはもしも起こる対日戦争を想定する必要が出て来ました。

当時のアメリカは東アジアにフィリピンとグアムを領有していました。
日本と戦争になればフィリピンとグアムが日本軍の攻撃や侵攻を受けると考えられ、アメリカ海軍はフィリピンとグアムへ救援に向かうのが対日戦計画の基本となりました。

日本海軍のアメリカ海軍迎撃案

それまで対ロシアに備えていた日本海軍が日露戦争に勝利すると、新たな仮想敵としてアメリカを想定するようになった。
もしも起きるアメリカとの戦いを日本海軍は小笠原諸島の海域で待ち受けるとしていたが、アメリカ海軍がフィリピンへまず向かう計画のようだと知ると、小笠原諸島より東の太平洋上で迎え撃つ考えに変わる。

第一次世界大戦後に日本が中部太平洋のドイツ領を占領し、領有するようになるとマーシャル諸島の海域で日米艦隊による決戦をするものとも考えるようになりました。

漸減邀撃作戦

日本海軍がアメリカ海軍との戦いを考え始めた時からその作戦は基本的に同じです。
進撃するアメリカ艦隊の道中を攻撃し、戦力を減らしてから日本の主力艦隊が艦隊決戦を挑むと言うものだ。

1940年(昭和15年)頃の日本海軍の作戦計画では、まず潜水艦と航空機でアメリカ艦隊に打撃を与え、水雷戦隊による夜襲を仕掛けた翌日、日本の主力艦隊が明るい時間帯で艦隊決戦により雌雄を決するとされていた。
これが漸減邀撃作戦と呼ばれる迎撃作戦案でした。

実現しなかった海戦

日露戦争後に日米双方が考えていた太平洋の戦いは1941年(昭和16年)に開戦すると違う展開になります。
日本海軍は真珠湾攻撃を行い、先制攻撃でアメリカ太平洋艦隊の戦艦の大部分を戦闘不能にさせました。
艦隊による決戦は出来なくなりましたが、日本軍は東南アジアの資源地帯へ進撃する作戦を成功させる事ができました。
こうして実現しなかった漸減邀撃作戦、もしも日本海軍があえて実行したらどうなっていたか?

問題点としては艦隊決戦をする前にアメリカ艦隊が受けた損害から引き返し、決戦の空振りが生じる。一度の艦隊決戦で戦争が終わらなければ国力差によるジリ貧に陥る不利な面があります。
また開戦前にアメリカ海軍がフィリピンに有力な艦隊を置いた場合、日本海軍は二正面の戦いを強いられる可能性もあります。

漸減邀撃作戦であっても日本海軍にとっては苦しい戦いになるのです。

(参考文献)
歴史群像No.140 記事<アメリカ海軍「渡洋作戦」VS日本海軍「漸減作戦」>大塚好古
学研歴史群像シリーズ「決定版太平洋戦争②開戦と快進撃」Gakken

※画像はイメージです。

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