この話は祖父がまだ存命中だった頃に聞いた話です。
太平洋戦争中にうちの祖父は、太平洋戦争に召集されてアジアの南方にいた時の事だということです。
生前、戦争の話しを聞こうとしても、祖父はあまり話しをしてくれなかったのは、本当に恐ろしい体験だったからでしょう。
撃たれた祖父
うちの祖父は太平洋戦争に召集されて、南方の島に配属されました。
ある日、いつものように銃を持って進軍していたとき、突然、敵と鉢合わせになり戦闘が始まりました。
上官や仲間などが次々に撃たれて死亡していくなかで反撃する為に銃を構えると、突然衝撃を感じて立てなくなり、そのまま意識を失ってしまうのでした。
しばらくして祖父が気づいたのが現地の病院のベッドの上。頭を打たれたようで非常に痛かったのですが、幸いにも命は取り留めました。
ですが鉄砲の弾が頭の中に入ってしまったようですが、そこには十分な設備が揃っておらず、手術ができないので止血したり傷口を消毒するぐらいの簡単な治療を受け、頭蓋骨の中の鉄砲の弾が残った状態で日本へ帰国する事になります。
しかし日本に帰っても脳に損傷を与える恐れがあるということで、結局、そのままの状態で治療も出来ません。
その影響なのか、左耳もほとんど聞こえず、いつも補聴器をしていた記憶があります。
父が亡くなって
そんな祖父が亡くなったのは、83歳の時でした。
火葬場で焼かれた祖父の骨と一緒に鉄砲の弾が一緒に固まって出て来たのを覚えています。
祖父を苦しめていた鉄砲の弾が、焼けずに残っていたのです。
本当に小さな鉄の塊のような玉でしたが、こんな小さな弾のせいで、祖父がずっと補聴器を付けていなければならなかったのかと思ったと思うと、とても悔しかったことを思い出します。
ですが、祖父とずっと一緒に過ごしてきた鉄砲の玉だということで捨てる事ができずに、今でも祖父の位牌の横に置いて飾ってあります。
そして祖父の形見として戦地で撮ったであろう白黒の写真をもらいました。
どこか荒れた岩だらけの山を銃を担いだ何人かの兵隊が登っている写真ですが、この話と共に戦争を自分の子供へ伝えるのに役に立つと思って、ずっと大事にしています。
※画像はイメージです。
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