これは祖母が幼少期に過ごした家にまつわる話です。
戦前戦中と東京の海沿いの今の羽田空港近くにあった祖母の家、私が上京しその家を探しに行ったところから意外な事実が判明します。
事の始まり
そもそもなぜ私が祖母の家を探しに行ったかというと、高齢になった祖母が生まれ育った家をもう一度だけ見たいと母に言い出し、幼いころにかわいがってもらった自分が恩返しのつもりで、上京の手配をしてその家につれて行くためでした。
しかし祖母は戦時中に疎開してしまい家は空襲で焼けてしまった為、戦後も家に戻らず疎開先の北海道での生活を送っておりました。
かろうじて分かった住所も戦前の旧住所で、場所の特定にはかなり苦労しましたが、付近の図書館の学芸員さんたちの協力もありなんとか見つけることができました。
疑問
しかしいくら空襲があったとはいえ何で自宅が分からないのか??しかしその疑問は実際に上京した祖母がその家のあった場所に移動する車内にて語られることとなります。
戦後祖母の疎開先に両親が迎えにやってきます、しかしそこで語られた事実に兄弟たちは愕然としたそうです。両親の話では戦後半年以内に自分の土地であることを役所に申し出ないとその土地の所有件は認められず、両親は戦後の混乱の中でその申告が出来なかった。そして何故か赤の他人が土地の所有権を主張して、それがあっさり認められたようだ・・との内容だった。
価値と家のあった場所
そもそも私が見つけ出した当時の祖母の家は、今でいう蒲田駅付近の土地で敷地面積およそ100坪クラスの豪邸!!
祖母と伴に上京した母の話では、今の相場で億ちかい価値のある土地のようです。
そして祖母を連れて向かった生まれ育った家は、今はアパートが建っており昔の面影は全く無いようでした・・・当たり前ですけど。
家の近くにあった病院の跡地には、今もそれらしい施設があり場所に間違いはなかったようです。
両親の弁解
死んだ祖母のお父さん(私のひいおじいちゃん)は死ぬ間際までこのことを悔やんでいたようですが、祖母も兄弟たちもそこ事をさして気にしておらず笑い話として家族では扱われていた。
ですが実際に土地のあった場所をみてしまうと、なにか悔やまれないような気分になります・・・命以外に意外な物も失った祖母の戦争体験でした。
※写真はイメージです。
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