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祖母と風呂と戦争

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これは私の祖母が教えてくれた話です。疎開から実家に帰ってきたときの思い出です。

祖母はもともと体が弱くて今のように医療が発達していない時代だったこともあり、風邪をこじらせて肺を病んで大掛かりな手術を、年齢が二桁にも満たない頃に受けたこともあると言っていました。
余談ですが、病院食でハヤシライスをオーダーしたことがあるそうです。当時はハヤシライスなどほとんど流通していなくて、新しい物好きな祖母の兄が一度ハヤシライスを祖母に食べさせてからというものハヤシライス好きになったらしく、それを無理に頼んだと話していました。

そんな祖母も戦争が激しくきて、は実家にいるのは危ないとのことで疎開することが決まり、田舎に電車に乗って移っていきました。
そして月日が経ち、戦争は終わり、実家に帰ってくると、友達の家は焼け落ちていたのですが、奇跡的に祖母の家や家族のみんなは無事でした。

家が焼けてしまった友人たちの家族は、元あった家の場所にガレキなどの残った物で家をたて、唯一町の中で一軒だけ残っていたお風呂屋さんへ、祖母の友達はみんなそこへ入りに行きました。

祖母は自分の家の風呂場が無事だったので毎日ふつうに風呂に入れましたが、やはり友達が騒ぎながら風呂屋に行くのが羨ましかったのか、祖母の母(私から見て曽祖母)に「みんなと一緒にお風呂屋さんに行きたい」とごねたそうです。

初めは首を縦に振らなかった曽祖母も一度ぐらいはと思って祖母がお風呂屋さんに行くことを許し、幼い祖母におけと手ぬぐいと石鹸を持たせて、みんなとお風呂屋さんに行かせました。
しかし、祖母は前述したように体が弱かったせいで、家族のみんなに体調を気遣われることが多く、自分で自分の体調をコントロールするのが難しかったようです。

みんなとお風呂屋さんに行って、湯船に浸かったはいいものの、そのままずっと上がらなかったせいか湯船から出た瞬間に、床に倒れてしまったと笑って言っておりました。びっくりしたみんなが急いで脱衣所まで引きずり、うちわでバタバタ仰いで、なんとか服を着せて、最終的にはみんなに担がれて家に帰って来たそうです。

※画像はイメージです。

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