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おじいちゃんは捕虜だった?自分の戦争体験の話。

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もう10年前になくなったおじいちゃん・・・とっても無口で怖いおじいちゃん。
でもそんなおじいちゃんが沢山話してくれることがあった・・・それは・・・自分の戦争体験の話・・・。

目次

戦争が嫌だった

おじいちゃんは小柄で、戦争に行くのが嫌だったそうだ。
「死に行くために今まで生きてきた訳じゃない。」
今でこそ共感をしてもらえそうな考え方だが、当時は異端だったという。

敵地で上官から「進めー!」と号令がかかっても、必ずこっそり下がったというから案外肝が座っている。

絶対に撃たれたくない、死にたくない。

そんなおじいちゃんだが、不幸にも流れ弾に足を撃たれて動けなくなってしまった。
周りに味方はいない。
そうだね、前進しなかったもんね・・・捕まってしまったのだ。

そして極寒の地、シベリアで捕虜生活が始まった。
雪なんてあんまり降らない地域出身のおじいちゃん。

おじいちゃん曰く、「バカ程雪が降って、バカ程寒い。」
ソビエトは相当体に堪えたらしい。

労働もきつかったが、寒さが尋常じゃなかったらしく、朝に誰かが亡くなっていることもよくあったそうだ。

思い出として最悪だったのだろう

ソビエトでの捕虜生活の話しはあまりしてくれなかった。
厳しい寒さと労働に耐え、やがて終戦を迎えた。

捕虜から解放されたのは、それから2年という歳月が経ってからだという。
喜びを噛み締め、自宅に帰還したおじいちゃん。

おじいちゃんは死んでした?

おばあちゃんは戦地で亡くなっていると思っていたらしく、帰ってきたおじいちゃんを見て腰を抜かしたらしい。

そして「あんたの墓、建てたがな!」の一声。
「わし、生きとるわ!」

その後、墓石は撤去されおじいちゃんの手によって破壊されたらしい。

捕虜生活をし、無事に生きて帰ってきたおじいちゃんは、当時の総理大臣から感謝状をもらっている。
「これはわしの誇りじゃ。生きて帰ってきたんだから。」

立派な額縁に飾られた賞状を見ながらよく呟いていた。
ただの紙の賞状かもしれないが、それにはおじいちゃんの思いがつまっている。

葬儀のとき、一緒に棺にいれた。
皆、おじいちゃんの思いを知っていたから。

※写真はイメージです。

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