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私のおじいちゃんの武勇伝

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この話は、私が幼い頃におじいちゃんから何回も聞いた話です。
私のおじいちゃんは、真面目な性格の中にも少しひょうきんな部分もあって、どんな時でも孫思いな優しく明るい人でした。

そんな、私の父方のおじいちゃんから聞いた、太平洋戦争の体験談です。

当時は栃木の田舎町で、一家穏やかに暮らしていました。
戦争が始めると若い男の人は次々と戦地に駆り出されて、戻ってこない人ももちろん多く、奥さんが悲しみにくれるという光景もよく見ていたそうです。

当時、結婚適齢期となっていたおじいちゃんは、おばあちゃんとお見合い、結婚が決まり幸せだったと言っていました。
そんな中、幸せは続かず、ついにおじいちゃんにも戦地に赴く番が・・・。

ここまで話を聞いていた私は、これ以降の展開を「辛い中でも男らしく戦地に赴き、奇跡的に生還した話」になるだろうと思ってましたが、次におじいちゃんから聞いた展開に少し拍子抜けしました。

おじいちゃんの口から出た言葉は、
「戦地に行き前線で戦い、無駄死にだけは避けたかったため、おじいちゃんは必死に減量をした!」
とのことでした。

私は何故減量?と思い、おじいちゃんに問いかけると・・・
「戦地に行き前線で戦う兵隊になるためには、身長と体重の規定がある。
その為に、兵隊となる体重が基準以上とならなければ戦争に駆り出されたとしても、生存確率の高い事務員になれるのだ。
その為に、死ぬ気のダイエットをする!」
という思惑でした。

ここまで少しシリアスな話かなと聞いてましたが、これを聞いて子供ながらにすこし笑ってしまったことを覚えています。

「事務員として戦争に行く!」という意思は固かったらしく、決意後のおじいちゃんの努力(減量)は並々ならぬものだったそう…。
結果的に、兵隊となる体重の基準値を下回り、おじいちゃんは狙い通り、事務員として戦争に参加したそうです。

しかし、事務員としての参加でも、戦地での空爆等で犠牲になった方々も多く、それは悲惨な状況であったと時折悲しそうに話していました。
戦地(というか仕事場)として派遣されたのはシンガポールとのことで、敵の攻撃から逃れるために海を渡った時にサメが大量に泳いでいたのがみえて、そのサメの餌食とならないように
赤いふんどしを長く垂らして、海を泳いで逃げた等面白おかしく話していた顔が印象的です。
(サメは自分より大きい物は襲わないという事らしい)

今でもふとした時に思い出す・・・私とおじいちゃんの大切な思い出話です。

※写真はイメージです。

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