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戦争にいけなかった祖父

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母方の祖父に聞いた話です。
私の母方の祖父は、戦時中新潟県の雪深い山の奥に家族で暮らしていたそうです。
奥さん(祖母)と、子供8人の大家族で、みんなで農業をしていました。

当時30代だった祖父に赤札が届きました。
祖父は戦争に行きお国の為に働きたかったので徴兵検査へはりきって行ったのですが、祖父は身体的特徴のせいで不合格になってしまったそうです。

祖父は10代の頃に薪を割るときに斧で右手の親指を切り落としており、親指がないことで拳銃の引き金が引けないことが不合格になった理由だったようです。

戦争に行くことは男としてお国の為に当たり前のこと。行かないのは非国民。という考えを持っていた祖父は不合格になってしまったことに落胆してしまったそうです。

祖父が徴兵検査で不合格になったことはすぐに集落のみなに知れ渡ることになり、住民からも非国民だと白い目で見られるようになりました。祖父は外に出ることも嫌になり、農作業も家族にだけさせて自分は一日中家でお酒を飲むようになりました。

戦時中なのでお酒もすぐに底を尽き祖母に辛く当たるようになりましたが、そんな祖父を祖母は戦争に行かないで家にいてくれることが嬉しいと優しく励まし続け、子供たちとどうにか祖父を外に出そうと頑張ったそうです。

祖父は戦争に行けないのではなく、行かないでいいのだと前向きに考えるようにになり、周りの目も気にせずに野菜を作り配給できることがお国の為になると農作業に励んだそうです。そして、なぜか子作りにも励んでしまい、戦争中にさらに2人の子供をさすがり12人の大大家族になったと笑って話してくれました。

戦時中に授かった子供の一人が私の母なので、もし祖父が戦争に行っていたら母は生まれずに私も生まれなかったかもしれないと思うと、祖父の指がなかったおかげだねと母とも笑い話になっています。

※写真はイメージです。

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