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じいちゃんが戦争でビルマに行った話

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わたしが幼稚園に通っていた頃、時に寝る前におじいちゃんは戦争に行った話をよくしてくれていました。
おじいちゃんは23歳くらいの頃、九州から船に乗って当時のビルマに通信兵として戦争に行く事になったそうです。

制服を支給されたそうなんですが、穏やかな性格で優しかったため、他の人が服を選んでから自分の分をもらったので、小さいサイズしか残っていません。
それを着て、おじいちゃんのお父さんに挨拶すると「もっと大きいのをもらえー」と叫んだそうで、それがおじいちゃんがお父さんと最後に交わした言葉だったそうです。

それからビルマにつき、衛生環境も良くなく何ヶ月かビルマで暮らしていたらマラリアに罹ってしまいます。熱も高いし、薬もないし何日も何日もうなされ、周りの一緒に戦地に向かった同胞もなくなっていったと言っていました。

おじいちゃんは意識が朦朧としてきて、もうだめだ、死ぬかもしれないと思って現地の川や森をうろうろしていた。でももう一度日本に帰りたい。お父さんにあいたいという思いだけで気力を振り絞っていたところ、次の日、嘘みたいに熱が下がって奇跡的に治ったと言っていました。
きっと神様が日本に帰れと助けてくれたんだろうと。

おじいちゃんは優しい人だったため、現地に行ってからも現地の人に優しくしていて現地の言葉を教えてもらったり、一緒にご飯を食べたりしていたみたいです。
ビルマを撤退する時が来た時、現地に残ってうちの娘と結婚しませんか?と言われたそうです。
どうしても日本に帰って、お別れを言えずにいたお父さんにもうひと目だけでも会いたいと思い、申し出を断ったと言っていました。

戦地からすぐに日本に帰れずに捕虜となり、周りの仲間達が死んでいってしまったり悲しい出来事がたくさんあったそうですが、それでも何としてでも日本に帰ってきました。
お父さんに会いたいと思いが通じてなんとか日本に帰国する船に乗る事が出来たようです。
日本に帰り、やっとの思いで実家に戻ってきた時には、お父さんはもう亡くなってしまっていた。
会えなかったけど、きっとお父さんがずっとおじいちゃんを守ってくれていたんだ。

※画像はイメージです。

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