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ガダルカナルへの最後の攻勢~第3次ソロモン海戦~

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1942年(昭和17年)11月、日本軍はガダルカナル島の奪還を諦めていなかった。
新たに陸軍は第三八師団を投入する事を決めます、その師団をガダルカナルに上陸させるべく、戦艦「比叡」と「霧島」が出撃します。

目次

ガダルカナル奪回作戦の続行

1942年(昭和17年)8月に米軍がガダルカナル島に上陸、日本軍は飛行場を建設中であるところを占領されたガダルカナルの奪回に動きます。
しかし、二度の陸軍による奪回作戦は失敗

陸海軍が総力を挙げ、南太平洋海戦も起きた10月の攻勢でも、日本軍はガダルカナル島を奪還する事はできませんでした。
とはいえ、南太平洋海戦で米空母機動部隊を撃退した勝利を得た事でガダルカナルに更なる増援を送り、奪還作戦は続行される事となります。

第三八師団の投入と戦艦の出撃

海戦で勝利した日本軍であったものの、ガダルカナルの陸戦では敗北が続いていました。
奪回作戦を続けるには新たな部隊を送り込む必要があり、第三八師団が送られる事になりました。

そこで南太平洋海戦の前と同じく、戦艦がガダルカナルの飛行場を砲撃して陸軍部隊を乗せた輸送船団が空襲されないようにする作戦が再び計画されます。
今回出撃するのは戦艦「比叡」と「霧島」になりました。

迎え撃つ米軍

前回は飛行場に大きな被害を受けて危機的状況に陥った米軍
今度は戦艦「ワシントン」と「サウス・ダコタ」に重巡洋艦3隻・軽巡洋艦2隻などの艦艇をガダルカナル近海に展開させます。
さすがの米軍も二度も飛行場をやられない様に戦力を配備したのです。
こうして第三次ソロモン海戦と呼ばれる海戦が起きるのです。

この海戦の第1夜戦(11月12日)で米重巡2隻を大破させたものの、「比叡」が舵をやられ翌日に空襲を受けた後に自沈してしまいます。
駆逐艦「夕立」の活躍など戦闘に勝利した日本軍でしたが、肝心の飛行場砲撃は海戦によって果たせませんでした。

戦艦同士の海戦

第1夜戦の翌日、11月13日の第2夜戦で「霧島」は「サウス・ダコタ」と「ワシントン」との海戦を戦う事になります。
太平洋戦争で初の戦艦同士の海戦は、「霧島」と重巡「愛宕」と「高雄」が「サウス・ダコタ」へ攻撃を集中して大破させたものの、「ワシントン」が反撃する。
レーダーの射撃を活用した「ワシントン」は「霧島」に砲撃を命中させ、撃沈させた。
日米戦艦対決はレーダーと言う技術の差で米軍が勝利しました。

海戦の敗北で飛行場砲撃が実行できず、第三八師団を乗せた輸送船団は空襲を受けて大損害を受けてしまう。第三八師団はガダルカナルのは着いたものの、多くの装備と物資を失い戦える状態では無かった。
この後に日本軍は前線の艦隊へ回す燃料の不足と輸送船の損害が大きく、ガダルカナル奪回の動きができなくなります。

参考文献
「MILITARY CLASSICS」VОL.76 金剛型高速戦艦 イカロス出版
「歴史群像」2019年12月号 激突!第三次ソロモン海戦(前編)Gakken
「提督の決断Ⅱ艦船FILE」 KOEI

featured image:Official U.S. Navy photograph, Public domain, via Wikimedia Commons

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