日本刀文化を守った軍刀

明治の廃刀令で、本物の日本刀は絶滅に瀕しました・・・

廃刀令

明治9年の廃刀令で、皇族、政府役人、軍人、警察官以外の者の帯刀が禁止されました。
つまり元武士であった一般の士族は、魂同然の刀を捨てなけらばならなくなったのです。

当時の士族人口は一説には200万人弱と言われていますから、それだけの数の日本刀需要がなくなったわけです。
また明治政府の新たな軍隊は欧米式なので、士官の刀も西洋式のサーベルとなりました。

結果、刀匠や鑪(たたら)製鐵の仕事もなくなり、大正にはその技術も共に消滅の危機に瀕しました。

白兵戦で活躍する日本刀

西南戦争で平民徴兵による政府軍は、薩摩士族の切込戦法に苦戦し、士族出身の巡査に日本刀を装備させた抜刀隊を投入しました。
この抜刀隊の活躍で、政府は日本刀の軍事的有用性を再認識することになります。

西洋式サーベルはフェンシングのように片手使いなので、両手使いの日本刀に親しんできた日本人には馴染まず、直ぐに日本刀を基にした太刀型軍刀が登場しました。
日清日露の戦役でも、突撃戦での白兵戦で軍刀は威力を発揮しました。

銃火器がさらに発達した昭和に入った日中戦争でも、しばしば発生した白兵戦では軍刀が活躍します。
軍刀の役目は武器から野戦指揮刀や軍装の一部へとその主眼を移していきますが、武器としての機能も重視されながら改良が進みました。

日本刀のイメージ

兵員数の増大

日中戦争が始まると、それまで20万人強だった兵員数が100万人近くに急増します。

それに伴って士官や下士官が持つ軍刀需要も急拡大しました。
しかし廃刀令以後の日本刀の伝統的製造方法の衰退で、この軍刀需要は主に機械製造による工業刀で賄われていました。

伝統的日本刀の復活

そんな状況の中、
「国粋たる日本刀を鍛錬し、主として将校、同相当官の軍刀整備に資する」
ことを趣旨として、昭和8年に(財)日本刀鍛錬会により鍛錬所が開設されました。

鍛錬会は大正には途絶えていた玉鋼を生産する鑪(たたら)を復興し、また伝統的な本格鍛錬を行い得る刀匠を育成し、敗戦までに約8100振りが鍛錬されました。

戦後一時期、日本刀製作は再び禁止されましたが、旧日本刀鍛錬会によって蓄積された知識を基に、現在各種機関が日本刀文化の保護を目的に活動しています。

歴史大好きジイサンです。
日本古来の伝統文化について、今の日本人は知らないことがたくさんあります。

参照:
全日本刀匠会HP 現代日本刀の歩
軍刀についてHP

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