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グライダー操縦可能程度で飛行?「ハインケル He-162」

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第二次大戦末期になると、枢軸国側(ドイツ・日本)も「何を血迷ったのか」的な兵器が登場してくるのですが、『国民戦闘機』と呼ばれ量産化されたドイツ空軍(ルフトバッフェ)のジェット戦闘機、ハインケルHe-162もそのような兵器の1つだと思います。
今日はこのhe-162について考えていきたいと思います。

目次

運動性の良い迎撃機を目指したHe-162

昼夜を問わない連合国側の爆撃が続くドイツですが、夜間戦闘機やジェット戦闘機で制空権を挽回しようとしても、重武装化(本来の兵器以外に、対空ロケット弾なども搭載するなど)することで、運動性能で連合国側の爆撃機に付随している護衛戦闘機、これに太刀打ち出来ないという状況が起きてしまいます。

そこでドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングと軍需大臣アルベルト・シュペーアは、運動性能が良い代わりに武装装備数を抑えた軽戦闘機で対抗することを考えます。しかも、パイロット訓練が短期間で済むように、グライダー(動力を搭載しない滑空機)の操縦程度が出来るパイロット候補生程度でも扱える機体という条件がここに加わります。

ドイツは歴史的経緯から、戦前からグライダーによる飛行は盛んだったこともあるというのも、その理由になったのかもしれませんが、余りにも無謀すぎるということで、実戦でも結果を残しているジェット戦闘機・Me-262の増産を主張した空軍の戦闘機隊総監アドルフ・ガーランド中将など現場指揮官からは反対されます。しかし、最後はゲーリングの意見が採用され、1944年9月に各航空会社に応募意思があるかどうか内示されます。

しかし短期間でかつ色々な条件(既存部品の利用、機体に木製部分を使う、本格的な生産開始は1945年1月など)があり手を上げるメーカーがいない中、ハインケルが困難な条件にもかかわらずこれに対応した設計を提出し、採用されたのがこのHe-162でした。

生産と操縦が弱点となったHe-162

さて生産が開始され実戦配備となったHe-162ですが、色々と無理があった中での開発だっただけに、運用開始されると問題が出てきます。

そのうち1つはエンジンの装備方法の問題です。写真の通り、胴体の上にジェットエンジンを装備するという形なのですが、このエンジンと胴体を接着している接着剤が戦局の劣化で充分確保出来なくなり、代替品で生産をしたところエンジンが胴体から外れやすくなるという事態になります。すぐにハインケルは対応しようとしますが、戦局が悪化している状況の中では困難だったのも事実でした。

そしてもう1つは操縦ですが、当初はこの戦闘機にヒトラーユーゲント(10代のドイツ人の男の子が入っていた団体)の少年を、グライダー操縦訓練を済ませたらすぐに操縦させ、連合国軍との戦闘に投入するという、ある意味自殺行為とも言えることが計画されていました。
しかし、空軍のベテランの操縦士などが「機体の安定が難しい、常に操縦に微調整が必要」というHe-162は、先行配備された第1戦闘機隊でも充分な数を運用することも出来ず、ドイツ本土が連合国軍の侵入を許した中では、結果としてヒトラーユーゲントの少年たちによる操縦はされなかったのでした。

もしもユーゲントの少年たち、しかも操縦もグライダー程度という飛行は出来ても戦闘はどうか?というレベルの彼らが実戦投入されていたら、戦闘以前にその飛行の中で多くの少年たちが命を落としただろうということを考えると、He-162が実戦に間に合わなかったのは幸運?と言うべきかもしれません。

いくら制空権が奪われたといっても、いきなり操縦すら難しいHe-162に乗って、「連合国軍の戦闘機を撃墜せよ!」というのは、冷静な判断で決定されたとはとてもじゃないですが思えないですね。そんなことを思ってしまいました。

eyecatch credit: United States Army Air Forces / Public domain

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