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曾祖父さんの武勇伝

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私が小学生のころ、おばあちゃんから聞いた今なら有り得ない話です。

目次

おばあちゃんのお父さんは最強

私のおばあちゃんは尋常小学校が終わってから、すぐ郵便局で働き始めました。
おばあちゃんのお父さん、私から見たら、曾祖父さん。おばあちゃんは村の出身で、毎日近くの駅といっても曾祖父さんのリアカーで30分くらいの駅から、都市部に通っていたそうです。

おばあちゃんの家は大きな農家をしていて、農作物を詰めるリアカーで曾祖父さんは、毎日送り迎えをしていたそうです。
おばあちゃんに、転機が訪れます。戦争が酷くなってきたので、都市部から農村部で働くようにと上から指示がでました。おばあちゃんは、当然、自分の家から近い郵便局で働きたいと申し出ます。曾祖父さんに毎日リアカーで送ってもらうのは、申し訳ないと。しかし、おばあちゃんの願いは通りませんでした。

別の農村部で働く

このまま、別の農村部で働くしかない、そういう思いで、職場にいくと、上から自宅近くの郵便局でいいと、ある時突然言われたそうです。おばあちゃんは、何もしていなかったのに、何で?と思ったそうです。
そうして、家に帰ってきた時に、おばあちゃんはふと畑を見ました。家の貯蓄分の野菜がほんの少し減っていました。おばあちゃんは、食卓の時間に何で?と聞いたそうです。そうしたら、驚きの事実が判明しました。

曾祖父さんは、この戦時下で娘が離れて働いているのを、気にかけていました。おばあちゃんは、勉強好きで女学校に行きたいという思いも、財政面で間に合わず、申し訳なく思っていたそうです。この危険な状況の中では、少しでも近い職場で働けたら幸せだ。きっとこの後では、機会はないだろうと考えていました。そして、曾祖父さんは閃きました。この食糧不足の中、農家の家でできることは!

おばあちゃんのために

曾祖父さんは、おばあちゃんのために郵便局に、野菜を持って行って交渉しました。所謂、今でいう、闇取引です。食糧不足の中では、野菜はお金と同等の価値があったので、郵便局の偉い方がお情けで、自宅近くに異動というように取り計らってくれたそうです。

おばあちゃんは、この事実を知った時に、涙を流したそうです。おばあちゃんは、貧乏な農家に生まれてきて、女学校に行けなかったのが悔しかったそうです。今でも、女学校に行きたかったと言っています。でも、農家だったからこそ、近くに異動できた。曾祖父さんのおかげだと何度も私に話してくれました。戦後、おばあちゃんは郵便局での蓄えで、憧れの駅前に土地を買い、家を建て、現在までおばあちゃん家は不動です。

私が生まれた時には、曾祖父さんは他界していましたが、きっと面白い曾祖父さんだっただろうなと感じています。曾祖父さんに会えたら、おばあちゃんを守ってくれてありがとうと言いたいです。

※画像はイメージです。

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