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引き裂かれた二人

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この話は、私が12歳の頃におばあちゃんから聞いた話で、日中戦争中おばあちゃんは将来を誓いあった人がいたそうですが・・・

1938年、日本が日中戦争真っ只中の頃おばあちゃんは17歳の女学生で青春真っ只中でした。
その頃将来を誓いあった相手(お坊っちゃん)がいたそうですが、まさかの結果を迎えることになってしまうのです。

おばあちゃんは元々お嬢様で、ひいおじいちゃんは小学校の校長先生をやっていました。
そんなおばあちゃんは、実はシスAB型から生まれたO型だったのですが、当時はまだそれがわかっていませんでした。
その事が原因で相手の親御さんから「どこの馬の骨かわからない子との結婚はさせられない!」と強制的に別れさせられてしまいました。

そのショックで相手の方は志願して満州に行き、戦死してしまいました。
遺骨は返ってきたものの、その亡骸を見た相手の親御さんに「結婚させてあげればよかった」と泣きながら言われたそうです。

その後、おばあちゃんは従兄弟でおばあちゃんの家に下宿して東京税関で働いていたおじいちゃんと周りからよってたかって結婚させられたのですが、おじいちゃんも体が弱く、背も小さかったので戦場には行けず日本で衛生兵をしてました。
ですが、おじいちゃんの弟たち(5人)は百姓をだったのでガタイも良く体も健康で背も高かったため、全員戦場に行き戦死しました。
弟たちの遺骨は返ってきてはいないそうです。

戦争が激しくなってきた頃、おばあちゃんは目の前で米軍機が機銃掃射してるのを見て、「私が銃を持ってたらあの飛行機打ち落としてやれるのに!」と歯痒く思っていたそうです。

その頃、子供(おばさん)だけ茨城のおじいちゃんの実家に疎開してたそうですが、いよいよ空襲が激しくなってきたので横浜にいたおばあちゃんも茨城に疎開します。

そのお陰で横浜空襲は受けずに済んだのですが、家は全焼してなくなり戻れなくなったそうです。
おじいちゃんも終戦後東京税関には戻れず、実家近くの茨城の税務所長に復員しました。
そんなおばあちゃんは、愛した人が眠る横浜には戦後一度も戻ることはなかったそうです。

※画像はイメージです。

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