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人柱と神と

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「人柱」という言葉をご存知でしょうか?
よく分からないという方もいれば、神の儀式じゃない?と思う方もいるかもしれません。
今回は、かなり怖い人柱の詳細について、お互いに学んで考えていきたいと思います!

目次

人柱とは

人柱とは、人間を神への生贄として捧げる習慣で、生きたまま地中に埋めたり、池や湖に沈めるなどを行います。
こんな風習が昔は普通にあったそうで、なんて残酷なことするんだろう。

なぜそんな事をするのかといえば、建造物の完成や工事の安全、洪水や日照りなどの災害が起きないように神に祈願する恐ろしい儀式なのです。つまりはハイパー神頼みをする代償を人で払うという事でしょうか。
工事中に残念ながら、事故で亡くなった方々の魂を鎮める思いで人柱という場合もあるそうですが、こちらは殉教という言葉に近いのかなと、個人的には思いました。

人柱と精神的な意味

人の魂のある建物は、長持ちするという話を聞いたことありませんか?
人が亡くなった後、魂は肉体から離れて建物に溶け込宿る、だからこそ長持ちするとか。
この思想が人柱に繋がったという話もあります。

農耕に関しては自然との戦いであり、自然は神という思想からすると、どう神(自然)を味方につけるのか?
人を生贄することで神を喜ばせるという事でしょう。
それを裏付けるように、ほとんどの場合、生贄の対象は若い女性となっております。

最後に思うこと

人柱を調べていくうちに、なんてむごいことをするんだと思いながら書きました

昔の村の風習系の話は、いつも人が犠牲になっているように思いませんか?
しかし、この社会は何らかの犠牲があって成功みたいな空気がありすぎて、個人的には良くない傾向だなって思います。その犠牲は今でも間接的に人間なので、私はステルス人柱なんじゃないかと。

どんな理由であれ、犠牲を払うことは良くないと、私は思っています。
ホントに一人一人が幸せに生きられればいいなと思っています。

※画像はイメージです。

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