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「本能寺の変」で得をしたのは誰だ?! 明智光秀の最後

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昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」が話題となりました。「逆臣」明智光秀を主人公にする画期的な脚本でした。
巷では主君「織田信長」を裏切った悪者で「羽柴秀吉」に打たれた武将として知られています。

明智光秀の「本能寺の変」での裏切りの理由は歴史好きの間でもさまざまに語られています。「本能寺の変」の謎の動機を解き明かす新説について諸説とは違う角度で解説してみたいと思います。

目次

明智光秀の死因

明智光秀は山崎の合戦の敗退後、竹藪の中で百姓に竹槍で突き殺されたことになっています。ここがまず怪しいと考えてみます。
敗退後、丹波・坂本城に数名の側近と向かっています。

この時、なぜ百姓が明智光秀と判断して竹槍で襲えたのでしょうか?
なぜ周りの武将である側近たちがお供をしていていながら百姓相手に主君が打たれることになったのでしょうか?
周りのお供も馬上の明智光秀も刀を携えていて百姓に負けるはずがありません。

常識的に百戦練磨の兵たちが百姓ごときに打たれたこと自体が謎であります。また、打ち取った明智光秀の首をその百姓たちが「羽柴秀吉」に差し出したという話がまったくありません。
明智光秀の首を「羽柴秀吉」に差し出した者(百姓たち)は名を残して歴史の中に登場しているはずです。
当然、その評価から羽柴秀吉に高い石高を拝領して取立りたてられているはずです。
「竹藪での悲劇」の後話が全くないことが不自然です。

ある説によれば

ある説によれば「顔の皮」を剥ぎ取られた首が「羽柴秀吉」の目の前に10首や20首が差し出されたという話もあります。
これで「明智光秀の死」を確認できたことになるのでしょうか?

この戦いの後に歴史は「忠臣・羽柴秀吉」が天下人となり「豊臣秀吉」が誕生したことになっています。この「本能寺の変」で得をしたのは明らかに羽柴秀吉です。

羽柴秀吉は「本能寺の変」を事前に知っていて「中国大返し」の準備をしていた説もあります。
この「中国大返し」が成功した理由がここにあります。この説はある意味正しいのかも知れません。羽柴秀吉のこの成功と山崎の合戦での勝利で天下人となったという歴史が通説となっています。つまり、暴君・織田信長を恐れていたのは明智光秀と羽柴秀吉であることは明らかです。

羽柴秀吉にとって

羽柴秀吉にとって「本能寺の変」はラッキーであり、逆臣・明智光秀を打ち取ったことで自らの正当性を織田家臣団に印象付けています。果たして、羽柴秀吉は確実に明智光秀を殺したのでしょうか?

羽柴秀吉は山崎の合戦の勝利で明智光秀の死を確認することなく天下統一を宣言したとも言えます。
もはや羽柴秀吉にリベンジできない明智光秀は生き残っていたという考え方もあるのではないでしょうか?

※画像はイメージです。

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