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戦時中の女の子生き方

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祖母とは今でも話をするなかで祖母自身が懐かしいと昔の話をときたましてくれます。
そんな祖母の若いころの戦時中の話・・・

目次

生まれたときから戦時中

祖母が生まれたときには世界中では戦争が起きている頃です。
住んでいたところは関東の奥地で山に覆われたところで、そんなに被害もない場所なのです。
服装はほたるの墓にでてくるような、そんな服装だったそうです。

祖母は小学生ではたくさんの歌を覚え、その中の歌には戦争を感じさせるものもあるようでした。

(歌詞:高く上がった飛行機が 西から東へ飛んでいく わたしもちょいと乗りたいな 乗せてくれればうれしいな)

話の合間に祖母は思い出しながら歌をうたってくれます。
きっとこの歌を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
祖母くらいの年代でしたらきっと懐かしくも感じるのでは?

また、小学校の教科書は今のものと全然違い、二宮金次郎が手にしているような本で勉強したそうで、漢字とカタカナで書かれていて、桃太郎の話が絵といっしょに書いてあるのをうっすらと覚えております。
そんななか、この時代にはカタカタで書かれたものなのかなぁ?と不思議に感じたのです。

授業の内容は愛国心を持つ内容のものが多く、なかでも祖母が天皇の名前を初代から昭和天皇まで淡々と歌のように言ってたのが印象に残っています。今の小学生の授業では絶対に覚えることがないことですが、祖母が小学生の時はそれが当たり前だったようです。

女性も戦う練習

祖母が今でいう小学生の高学年になったくらいから、どんどんと戦争の波が日本にも見えるようになってきたころのこと。学校ではアメリカの兵隊さんと闘うための訓練のような授業もあり、男性だけではなく女性も戦う姿勢を習っていました。

どんな内容の訓練かといいますと、一人一人に木でできた長い槍をもって「えいっ!」「やぁー!」と掛け声を出しながら空中を突くそぶりをしたそうです。その時の祖母は必死になって訓練をしていたそうです。

中学生の時代になると、もんぺを着たままの格好で学校へ行った人もいますが、山の中とはいえ制服というものもありました。そんなに裕福ではない家庭でしたが、娘のためにと親が買ってくれたそうです。

そしてその時期から、戦争がどんどんと激化していきました。
空にたくさんの飛行機が飛び交っていきます。きっととても恐ろしいことだったのでしょうが、祖母は丁寧な言葉で話を続けてくれました。

夜に飛行機が通ると音でわかるので、家が見つからないように部屋のろうそくを消すのだそうです。さらに明かりが外に漏れないようにと、蚊帳のようなものに入って明かりが外に出ないようにしていたそうです。
「空襲警報~~~」「空襲警報~~」の言葉を聞くたびに、怖くていた縮こまっていた時期もあったそうですが、その頃のことを話す祖母の目は懐かしい思いと強さに満ちたような様子を感じるのでした。

※写真はイメージです。

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