おじいの昔の戦争体験話、私のおじいは太平洋戦争時代、海軍に所属していました。
その中でも一番若かったおじいは下っ端で、船の上で見張り役や雑務ばっかりを任されていたそうです。
船上とはいえ戦時中のため、食べ物も少なく、いつも空腹だったようです。
主食も芋がほとんどで、芋だけではなく、芋づるを食べたり、食べれるものは何でも無駄にせず食べていました。
ある日、いつものように船内の雑務を任されていると、突然、大きな音がしました。
その時は何が起きたかわからなかったのですが、どうやら、米軍の放った砲弾が船の中央に命中し、乗っていた船が真ん中から真っ二つに割れたてしまったようです。
中央で指揮をとっていた上層の方たちのほとんどは亡くなった方もいたようですが、私のおじいは下っ端だったため船の端にいて、運よく助かったそうです。
私や孫達に生き残れた一連の話してくれ、おじいは下っ端で良かったね~とよく話したのを覚えています。
そんな環境下で生き残ってきたおじいは、生前、現代人の私によく『もったいない』と言っていました。
子供のころから鼻が弱く、鼻水がよく出ていた私はティッシュを1回に2枚も3枚も使っていると、毎回毎回もったいないと口酸っぱく言っていました。
また、食べ物の食わず嫌いをするのにももったいないと言い、よく諭されたの覚えています。
終戦後は農業で家族を養っていたおじいは、野菜やサトウキビを育てており、作物を育てる大変さ、食べ物がない大変さをよく知っているので、食べ物のありがたみだけでなく、不自由ない現在の生活や物を大事にし、毎日家族のために朝早くから日が暮れるまで毎日畑に通い、家族を養ってくれました。
また炎天下の中、長時間の作業に文句や弱音も吐かず勤め上げてくれ、今の家族や孫、ひ孫がいるのも、おじいのおかげだと思います。
あの時おじいが下っ端でなく、出世して、船の中央で指揮を取っていたら、今の私たちはいなかったはずです。
おじい、ありがとう。
※画像はイメージです。
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