これは私が小学生の頃に、私の母から聞いた戦争の話しです。
戦争中、母はそれまで住んでいた東京の真ん中から、東京の山の方へと引越しを余儀なくされました。戦争が激しくなったため、東京の真ん中には住んでいられなかったのです。
小学生の頃の母
母は当時、小学生でした。学校の家庭科の時間にブラウスを縫うことになりました。
物が不足していた時代ですから、白い布を手に入れるのはとても大変でした。母の父、私のおじいちゃんが探し回って、ようやく白い布を手に入れることが出来ました。
おじいちゃんは教会に通っていたので、そこに集まる人から譲ってもらったのだそうです。教会の神父様はドイツ人ですが、見た目ではどこの国の人か区別がつきません。外国人のいるところに出入りするなんてと、教会に通うことを良く思わない近所の人もいたそうです。
クラスメイトの中には、お母さんの服をほどいたり、着物をほどいたり、黄色や茶色の布を持っている子もいたそうです。本当に白い布は貴重だったのです。
母たちは
母たちは慣れないお裁縫に悪戦苦闘しながら、ようやくブラウスを縫い上げることが出来ました。ミシンも軍需工場にうつされてしまっていたので、手縫いだったそうです。
長い時間かかっても、そんなにうまくは縫えなかったと思います。すると先生が「採点するので、ブラウスを集めます」と言いました。子供たちはそれぞれがブラウスに名前を縫い付けて提出しました。
ブラウスの行方は?
しかし、何ヶ月経ってもブラウスが返却されることはありませんでした。小学生がつたない手で縫ったブラウスさえも欲しくなるほど、物が不足していたのですね。
先生は解いて大人用に縫い直したのでしょうか。聖人とも言われる先生でさえ、子供のものを横取りしてしまうとは、とても切ない気持ちになりました。戦争は人の心も変えてしまう恐ろしいものだと思いました。
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