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日本海軍の航空大攻勢~い号作戦~

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1943年(昭和18年)、太平洋戦争は日本軍のガダルカナル島撤退から戦局は連合国軍優位に変わりました。
日本海軍はラバウルを拠点にソロモン諸島で連合国軍に航空戦力で打って出ます。

目次

1943年春の戦況

1943年(昭和18年)2月、前年の夏から半年も戦ったガダルカナル攻防戦は消耗戦と飢餓の末に日本軍は撤退します。
多くの輸送船や経験の多いパイロットを多く失い、日本が戦争を続ける力が低下する程の影響のあるこの敗北は、戦争の流れを日本軍優位から連合国軍優位と変えました。

連合国軍は東部ニューギニア反攻の動きを見せ、ソロモン諸島を北へ攻め上がるのも時間の問題でした。
まさに日本軍にとって危機的な状況です。
しかし連合艦隊は燃料不足で大艦隊で動けず、再び戦局の主導権を取り戻すのは困難だった。

連合艦隊い号作戦発動

1943年(昭和18年)4月3日に山本五十六連合艦隊司令長官はトラック島の戦艦「武蔵」からラバウルに移動した。
これは来る「い号作戦」を山本長官が陣頭指揮する為です。
「い号作戦」はガダルカナルとニューギニアへ航空攻撃を行う作戦です。
この作戦を実行するにあたり、ラバウル航空隊は戦力を消耗し大作戦を担うには戦力が足りない。
そこで空母部隊である第3艦隊から180機がラバウルへの援軍に送られます。

こうしてラバウル航空隊の150機と合わせ、4月7日から「い号作戦」が開始されます。
「い号作戦」第1日目、ガダルカナル島周辺の敵艦船を目標に出撃
第2日目から4日まで東部ニューギニアのポートモレスビーやブナ・ラビを攻撃した。目標は敵艦船と敵飛行場
4月16日に作戦は終了する。

成功か否か?

合わせて4度の出撃で得た戦果は敵艦船18隻を撃沈、8隻を大破、138機撃墜と日本軍は記録している。
だが、米軍の記録では駆逐艦1隻・コルベット艦1隻・タンカー1隻が撃沈、戦闘機7機が撃墜されたと記録されている。
日本軍の損害は30機以上であった。
戦果はさほど無いこの作戦は成功だったのか?

日本軍がこの攻めに出て、連合国軍による反攻を少しだけ止めたと言われる。
ガダルカナル敗退後に日本軍の勢いは無くなったところに、この攻勢は連合国軍へ与えた心理的な意味では良かったのかも知れない。
しかし、日本海軍はラバウルを最前線に戦い続ける事を変えません。
艦隊の燃料不足も変わらず、ラバウル航空隊の戦力も空母の航空戦力が無ければ敵に圧倒されるのも変わりません。戦局に影響や変化はありません。

い号作戦が失敗なのは一時しのぎに終わったからと言えます。
失敗だったのは作戦終了の翌日に、山本連合艦隊司令長官がブーゲンビル島上空で戦死してしまった事も大きいでしょう。
い号作戦を実行した山本が生存していたら、い号作戦後の戦略を練り直す事が可能だったかもしれません。しかし、日本軍は現状維持のまま戦争を続けます

参考文献
歴史群像太平洋戦争シリーズ(7)ラバウル航空隊 Gakken
歴史群像シリーズ決定版太平洋戦争(5)消耗戦~ソロモン諸島・東部ニューギニアの死闘~ Gakken
歴史群像2015年8月号「昭和18年秋ブーゲンビル島沖航空戦」文:古峰文三 Gakken

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