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ミッドウェー海戦の敗北から日本海軍は何を改善したのか?

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太平洋戦争の流れを変えたと言えるミッドウェー海戦で日本海軍は空母4隻を失う敗北をします。
そこから日本海軍は何を改善して次の戦いに挑んだのでしょうか?

目次

ミッドウェー海戦で日本海軍は何故負けたのか?

昭和17年(1942年)6月5日のミッドウェー海戦で日本海軍は空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻を米軍空母機動部隊との戦いで失いました。
ここまで日本海軍が大敗したのは何故か?

・索敵が不十分(巡洋艦「利根」で索敵機の発進が遅れた)で米空母を発見するのが遅くなった事
・ミッドウェー島から出撃した米軍機による断続的な空襲により日本空母機動部隊が飽和状態に陥り米空母からの攻撃隊が隙を突いて攻撃を成功させてしまった。

この2点が大きく爆弾と魚雷を付け替えて時間を浪費する結果にも繋がりました。

日本海軍の改善

昭和17年7月14日に日本空母機動部隊は第一機動部隊から第三艦隊に組織改編されました。
この時に新しい戦策として第三艦隊は作戦の進め方を変えます。

・これまでの1段索敵から2段索敵にして索敵を念入りにする。
・空母のある主力部隊より前に戦艦や重巡洋艦の前衛部隊を進ませ敵の攻撃を前衛部隊に吸収させる
・空母に乗せる艦上攻撃機(艦攻)を減らし艦上戦闘機(艦戦)と艦上爆撃機(艦爆)を多くする

2段索敵とは同じ海域の上空を2度飛行して探す事で見逃しを防ぎます。

ミッドウェー海戦まで全艦で一群を形成する形でしたが第三艦隊になってから空母のある主力と戦艦や重巡洋艦のある前衛に分かれる形になりました。
つまり戦艦や巡洋艦で空母の盾となり、前に出て敵機の接近を前衛が主力へ通報する役目が与えられました。

空母に乗せる機種ごとの数の変更は艦爆の急降下爆撃が艦攻の雷撃よりも重視された事と艦戦を増やし艦隊の防空を強化する意味もあった。

改善は実ったか?

第三艦隊として最初の戦いである第二次ソロモン海戦では新しい戦策の打ち合わせができず戦策通りにはならなかった。
次の南太平洋海戦では第三艦隊は艦攻による索敵機13機を出す二段索敵を行うような念入りの索敵を展開します。

それが実り米空母からの攻撃隊と同時になったものの「ホーネット」を行動不能にさせ「エンタープライズ」を大破させた。

前衛部隊も重巡洋艦「筑摩」が被害を受け米空母の攻撃隊を吸収する役目を果たしました。
また前衛部隊が米軍飛行艇を発見した事で主力を反転させ攻撃を回避する事もできている。

おおむね新しい戦策での戦いを第三艦隊は果たす事ができました。
ミッドウェーで敗れた事から日本海軍は戦い方を変えて勝利を得ていたのです。

 

※画像はイメージです。

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