小さい頃、母方の実家へ行くことがひとつの楽しみでした。
母の父、母方のおじいちゃんはよく「俺がおらなんだら(いなかったら)みんなおらんがやぜ(いないんだぞ)」と口癖のように、みんなで食事をする時に喋っていました。
それは戦争で死んでいたら、そのあとの家族はない、よく生きて帰ってこられたよ、という感じのニュアンスだったと思います。
おじいちゃんは中学に在籍中に召集令状が来て、中学生の身分で軍に召集されたらしいです。
主に陸上訓練、陸軍の訓練ですかね?
やはり広大な中国大陸などを徒歩で移動するために、地方の農家出身の者は陸軍に配置されたそうです、
おじいちゃんは、まず訓練先に配属されたそうです。まわりはよくわからない大人の人たちばかりで、みんなタバコをご褒美で吸わせてもらっていたので、その時におじいちゃんも「霊芝」とかいうタバコをもらって、そこではじめてタバコというものを吸ったと言っていました。なんか、中国タバコらしいとかは言っていました。
いろいろ訓練はしたと言っていました。
おじいちゃんはあのうつぶせで進むやつがしんどかったと言っていました。たぶんほふく前進みたいなものでしょう。
空の手榴弾を練習でよく投げていたそうです。その空の手榴弾は終戦後、こっそり持ち帰ってきていたので、実物を僕も見せてもらいました。そんなに重くは感じなかったけど、これが人の命を奪う平気なのかと触った時に背筋がぞっとしたのを覚えています。
いよいよおじいちゃんも配置されるという日が来ました。配属される日は1945年8月15日だったのです。覚悟をきめて遺書まで前日に書いていたのに、次の日には終戦だったということです。
すぐにでも飛び込んで、自分は死ぬ覚悟で玉砕でもなんでもして、敵を潰してやろうと血が騒いでいたのに、とんだ拍子抜けだったらしいです。それから地元までどうやってかえってきたかもまったく覚えていないらしいです。頭も体もフワフワして、足が地面についていないような感じでしばらく生活していたそうです。
※写真はイメージです。
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