和歌山大空襲でみた地獄絵図

語り継ぐ

昔、戦争を経験したおばあちゃんが、和歌山で空襲にあったときのお話をしてくれました。
小学生だった私はその話を聞き、とてもショックを受けたのを覚えています。

佐賀から和歌山へ

昭和2年、佐賀県で産まれたおばあちゃん。6人兄弟の上から二番目だったおばあちゃんは、母のように弟妹の面倒を見ていたそうです。

いつごろ戦争がひどくなったかまでは聞きませんでしたが、おばあちゃんが今で言う中学生ぐらいの年齢の頃、住んでいた場所が空襲にあい、家族全員で親戚が住んでいた和歌山県へ引っ越したそうです。

当初では戦争の状況が悪化して引っ越すことは珍しいことではなく、この引っ越しを疎開と呼んでいました。
引っ越してきた和歌山の状況も、安全とは言えなかったようです。

そしておばあちゃんが18歳ぐらいの頃、とうとう大きな空襲がきてしまいました。

1945年7月9日

おばあちゃんは、こう語ってくれました。

「あの日のことは、はっきり覚えてる。夜中に、空襲や、って家族で飛び起きて、お城(和歌山城)へ向かって、一生懸命走ったんや。
空にいっぱいアメリカの飛行機が飛んでて、すごい音がするんよ。パラパラしたものが降ってきて、それに当たってしまうとあかんから、必死で走った。目の前走ってた人はそれに当たって、頭がぱっくり割れてしもた。こわかったよ。
なんとかおばあちゃんはお城の外のお堀にたどりついて、みんなお堀に向かって、飛び込んだんや。」

お堀に飛び込んだ人たちも、多くが焼けて亡くなってしまったようです。
私はおばあちゃんの話を聞きながら、泣いてしまったのを覚えています。

当たり前のように人の命が奪われてしまっていた時代は今では想像できませんが、大昔の話ではなく、目の前にいる人が体験したこと。
私たちが今不便なく過ごせているのもおばあちゃんの世代の人たちが一生懸命生き抜いてくれたからなんだと思います。


ライター みーちゃん

好きな食べ物は卵

※写真はイメージです。