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黒船襲来に備える伊東の砲台跡

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江戸時代末期、徳川幕府に開国を要求するペリーが黒船に乗ってやってきました。
今回は黒船と日本の防衛にまつわる史跡を紹介します。

私は静岡県伊東市にある城ヶ崎海岸に旅行に行き、不思議な砲台跡に遭遇しました。
江戸時代末期に黒船来訪を警戒した江戸幕府が城ヶ崎海岸に設置した砲台だと解説板に書いてありました。
黒船に怯えた江戸幕府は、防衛のために城ヶ崎海岸を始めとした、要所の要所に砲台を設置したのです。
黒船の襲来をよほど恐れていたのか、黒船とくじらを勘違いしたとの記録も残っています。

荒々しい海を求め城ヶ崎海岸にやってきた私は、砲台に思わず魅入られてしまいました。
城ヶ崎海岸はペリーと縁の深い下田と距離が近いのを思い出し、過去の歴史に思いを馳せました。

しかし、もし本当に黒船が現れたとしてもこの砲台でどうするつもりだったのか?と思います。
砲撃して黒船を沈めたりしたら、アメリカとの戦闘の引き金になりかねません。

当時の徳川幕府が西洋に勝てるはずもないので、せいぜい威嚇が精いっぱいだと思いました。
また、あまり精度の良い大砲にも見えませんので城ケ崎海岸から大砲を発射して、果たして黒船に砲弾が届くのか?とそこから疑問に思いました。

当時の徳川幕府にとって黒船という存在はよほど脅威だったようで、未知の存在の西洋列強が怖かったのだろうなと思います。
結局この城ヶ崎海岸の大砲は使用されることはなく、下田にのみ砲台を残し、城ヶ崎海岸の砲台は撤去されたとのことで、ここに残っているのは当時を忍ばせるレプリカです。

私は歴史を求めてこの土地にやってきたわけではなかったのですが、昔日本史の授業で習った黒船襲来を忍ばせる大砲に遭遇したことで、歴史の爪痕は日本各地に残っているのだと改めて実感しました。
城ヶ崎海岸は絶景が広がるとても素晴らしい海です。

灯台やつり橋が有名で昼ドラのシーンにもよく使われているのだとのことで、城ヶ崎海岸という土地は魅力がたっぷり堪能しました。
機会があれば一度訪れてみることをおすすめします。歴史ファンでなくても楽しめることでしょう。

※画像はイメージです。

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