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ドラマ人間模様「いつか来た道」 を語る

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昔見たドラマなのですが、戦争中の京都の学者さん一家の雰囲気を伝えているようで忘れられないのでご紹介しますね。

目次

ドラマ人間模様「いつか来た道」とは?

これは1982年にNHKで放送された全4回のドラマで、昔々に戦争中の京都の学者一家を女学生の長女の視点で描かれています。原作は、「過ぎたれど去らぬ日々」壽岳章子著。このご一家は、英文学者の父上、母上も英文学やライトハウスの創設者の妹さんとして京都では有名だったそうです。

女学生の長女さんも学生の頃から評判の優秀さで、その後は学者さんとなり教授として教鞭をとられ、女性運動の活動家としても知られ、新聞や雑誌にエッセイを書かれたり、テレビでコメントをされたりと有名な方でした。

私は歴史は好きなんですが、太平洋戦争前後の雰囲気はあまり好きではありません。「ウチテシヤマン」とか、「ホシガリマセンカツマデハ」とかのスローガンは、今から思えば自虐的でむなしいだけですからね。それにモンペをはいて三つ編み姿の女性たちも、痛々しいばかりに見えるんです。というわけで、戦前戦中戦後を描いたドラマは見たことがありませんでした。
しかし、家族が見るというので仕方なく一緒に見たところ、いまだに忘れられないほど興味深いものだったのです。

ドラマと京都

この一家の父上は英文学者でありながら、戦争がはじまると知ると、こういう時代になると失われるかもしれないから今のうちにと、和紙の研究のために地方へいらっしゃるんですね。ウィキを見ても本当に全国の紙郷行脚を行ったとありました。
文献資料と紙漉きの現場を結んだ幅広い視野をもって和紙史を研究されたということで、昭和初期には柳宗悦の民芸運動に参加した本格派でした。

母上も翻訳書を出版されたり、兄上の目となって研究の助けをされた方なので、じつにアカデミックなご夫婦でした。
ご夫婦で賛美歌を合唱されているのを、娘さんが弟さんと、「ああもう、やってられんわ」というシーンは、とても戦時中の日本とは思えなかったです。

京都は大学も多いため、昔から学生さんや学者さんが多く、京都三高や京大の教授と言えば神様のようにえらいと尊敬されていたということです。同志社はキリスト教学校でもあり、国家神道が幅を利かせていた頃は睨まれたけれど、独自の考えを持っている方々も多かったそう。
それを京都の一般人は容認しているというか、学者はんやからねえという、いわば生暖かく見守っていたみたい。
うまく言えないけれど、こういう雰囲気が、あのドラマのご一家から伝わって来たのですね。

ドラマのA朗さんはうそ

このドラマにはもうひとり、この家に下宿する男子学生さんが登場しました。名前は忘れたので仮にA郎さんとしますね。
主人公の長女さんがほのかに思いを寄せる、プラトニックなほのぼのした感じがとても微笑ましかったのですが、A郎さんはたしか赤紙が来て、涙ながらに出征してしまったのです。

A郎さんが戦死されたのか、生きて戻られたのか、ドラマでは描かれていませんでした。
私はこのドラマが放送された数年後、壽岳章子教授の講演会に行きました。たぶん、女性史とかについて話されたと思いますが、今では次のことしか覚えていません。

「あのドラマに出てきたA郎さんは、NHKが作った絵空事ですのよ。あんな人はおりません。なのに、全国から手紙や電話で問い合わせがたくさん来るんです。A郎さんはどうなさったのですか?ってね。ドラマにするにはああいう話を盛り込まないといけないんでしょうが、迷惑やわ」

壽岳教授は独身だったせいで、知り合いからも「なんで独身かわかった」と言われたと笑いをとっておられましたが、このドラマ、今でももう一度見たいと思いますね。

※画像はイメージです。

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