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栗林忠道中将は硫黄島で勝つつもりだった?!

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硫黄島の戦いの目的は米軍の侵攻を1日でも遅らせて、最初から玉砕覚悟の防衛作戦だったとされていますが、 栗林中将の当初の思いは違いました。

目次

栗林中将の目算

栗林が硫黄島防衛の任務を担当する第109師団及び小笠原兵団の師団長を引き受けた時、
その防衛任務は非常に難しくはあるけれど、任務を全うする可能性が皆無ではないと考えていました。

その具体的方法として、水際陣地による上陸軍撃滅ではなく、内陸部の地下式復郭陣地による防衛という発想は既に栗林にはありました。
上陸前の艦砲射撃や爆撃など圧倒的な米軍の重火力により、簡易な水際陣地は100%粉砕されると栗林は推測しました。
そんな所で兵力を無駄に消耗するより、内陸地下陣地に温存した兵力で上陸後の敵軍と戦う方が有効だと考えたのです。

そしてさらに重要なことは航空戦力による支援でした。
硫黄島は絶海の孤島ではあるものの、東京都内でありれっきとした内地なのです。
従って本土航空基地からの支援があってしかるべきであり、それが硫黄島防衛には不可欠だと彼は考えていました。

硫黄島赴任の際、大本営参謀次長・後宮(うしろく)中将と秦中将に対し、栗林は海空の協力がなければ全滅は必至であると強くその出動を要請しています。

そして両中将は
「大本営にお任せ下さい。敵を硫黄島に拘束し、連合艦隊反撃の好機をもたらすのが第109師団の任務です。海空の応援は必ず出す。硫黄島は東京都内だから、陸軍の面目を汚す様な事はしません」
と確約しました。

こうして栗林は防衛任務達成を目指しました。

マリアナ沖海戦で連合艦隊惨敗

USN (photographed from a USS Bunker Hill (CV-17) plane) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

同時期、日米機動部隊が衝突したマリアナ沖海戦で、日本は、大鵬・翔鶴・飛鷹の3空母撃沈、艦載機470機余りを失うという大損害を受けて惨敗しました。連合艦隊派はその戦力を大きく減らす事となって、戦争継続能力が激減したばかりでなく、西太平洋における制空海権を米軍に奪われました。

その結果、硫黄島に対する海空の支援という大本営の約束が反故になっただけでなく、連合艦隊の反撃という最終目的さえなくなりました。
この時点で栗林の防衛目的は、後に伝わる「敵のより多い出血を強いる事で1日でも長く硫黄島に敵を釘付けにし、本土防衛の準備時間を稼ぐ」事に変更せざるを得なくなったのです。

歴史大好き爺さんです。
一つの失敗が次の計画を潰し、それが連鎖的に続いて破滅への道を転がり落ちる。
それでもやめようとしなかった・・・何故?

参照:「名をこそ惜しめ」津本陽著
※画像はイメージです。

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