歴史上、優れた軍人だった二人の持つ危機感・・・現代日本が予見されていた?
それはどういう事なのか、解説していきます。
秋山真之の戦争論
生存競争は全ての生物にとっての原理です。人間も生物である以上は、この原理の外にはあり得ません。
その人間が作り上げた国家も、当然この原理に支配されています。そして国家がこの競争を勝ち抜くための最終手段、それが戦争です。だから戦争は無くならないというのが、秋山の戦争論の骨子です。
戦争を無くすためには、つまり生存競争を無くすためには、究極のところ生物全てを抹殺する他ないと、彼は論じています。
とはいえ、秋山が戦争を闇雲に肯定称賛しているわけではありません。数多くある国々の利害が全て過不足なく一致することは、現実的にあり得ません。その調整は平和的交渉でなされるべきですが、それがどうしても不可能な時には、戦争という方法しかなくなるのです。
戦争は惨憺たるものだとも秋山を言っています。しかし戦争を忌避した結果、他国の侵略を許して被征服の辛酸を舐めるのと、母国を守るための惨憺たる戦争とのどちらを嫌悪すべきか、と彼は問いかけます。
戦争とは勿論好むべきものではありませんが、同時にただひたすらに避けるだけでは現実的ではありません。
こちらがいくら戦争拒否を唱えても、相手が一方的に仕掛けてくることもあるのですから。
山本五十六の戦争観
「国大なりと雖も、戦いを好めば必ず亡ぶ。
天下安しと雖も、戦いを忘るれば必ず危うし」
これは紀元前の中国で書かれた、司馬法という兵法書にある一節ですが、山本五十六はこの一節を座右に置いて、
国家と戦争について考えていたようです。その意味は、いくら強い国でも常に戦争を好む国は滅亡必至であるが、
反面、今が平和だからといって、国防を怠っている国ほど危ういものもない・・ということです。
日本は今、危ういのか?
歴史上、優れた軍人だった二人の持つ危機感は、今どこかの国に驚くほどピッタリと当て嵌まっていませんか。
昔その国は軍事力で隣国を強引に侵略し続け、挙句に世界を相手に無謀な戦争に突入して、結果は国が滅亡寸前になりました。
その後、その国は立ち直り、先進国の仲間入りまで果たしましたが、今は世界有数の強国となった、過去に侵略した隣国から逆に、不条理な軍事的圧力を受けて青息吐息となっています。
それでも平和ボケと評される国民のほとんどは、その危機を全く意識していないという有様です。
まったく危ういものです。
参照:知将・秋山真之 生出寿(おいでひさし)著
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