父とポケット戦艦そして大日本帝国報道機関

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戦時中の日本では、国民の戦意を高揚させるために様々な報道がなされました。
当時を生きた私の父が聞かせてくれた話の中にも、それが表れています。

アドミラル・グラーフ・シュペー

アドミラル・グラーフ・シュペー。名付けて「ポケット戦艦」。
巡洋艦を凌ぐ火力と戦艦を出し抜く運動性能を持つと喧伝された、ドイツ御自慢の新兵器。

日本に先駆け戦争始めた友好国ドイツ、宿敵イギリスの補給線を断ち切ろうと躍起になっておりました。
駆り出されたるはポケット戦艦。次々とイギリス人とその物資を海の藻屑に変えていく、アドミラル・グラーフ・シュペー。

南米まで出向いたら、今度は3隻からなる巡洋艦隊と鉢合わせ。
されどポケット戦艦、大英帝国なにするものぞ、敵艦3隻に囲まれたりとも見事返り討ち。
そこで命運尽きたか、自らも手負い。そして立ち寄った港の主、ウルグアイは英国シンパの中立国。退去を命じられたシュペー、港を出ても四方は敵だらけ。
「もはやこれまで」
自らに火を放ち散華したのでありました。

Bundesarchiv, DVM 10 Bild-23-63-06 / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 de], via Wikimedia Commons

私がこの件を最初に知ったのは

私がこの件を最初に知ったのは、子供の頃に聞かされた父からの話でした。

父は昭和初期の生まれ。戦時中は陸軍に徴兵され、数学が得意だったため砲兵科に配属、高射砲の訓練を受けていました。
そんな父は、戦場に行かされることはありませんでしたが、軍隊や戦争の現実を骨の髄まで思い知らされていました。戦場には行かなかったというだけで、焼夷弾で家を焼かれたり、往来で機銃掃射を受けたりと、危険な目にも遭い続けていました。

それでも、軍や戦争に対しては特別な思い入れがあった様です。
当時の体験はもちろんの事、自分が関わっていたわけでも無い出来事にまで、熱の入った口調で、そして笑顔で語ったものでした。

アドミラル・グラーフ・シュペーの件は、父のお気に入りでした。
曰く「あの事件は日本でも大々的に報道され、大変な騒ぎになった」と。そしてこうも付け加えました。「イギリスの巡洋艦は一撃のもと沈んだ」と。

父の話を鵜呑みにしていた私でしたが、戦記物の本などを読み漁るようになるとそれが間違いであると知りました。
イギリス艦隊は戦闘不能に追い込まれはしましたが、いずれの艦も沈没どころか航行不能にすらならず、自力で離脱出来ています。

この話を父にすると呆気にとられていました。

By Royal Navy official photographer [Public domain], via Wikimedia Commons

結局

結局、「一撃で沈没」は記憶違いなのか、それとも「日本での報道」が虚偽報道だったのか。
先日この件に関して検索してみましたが、詳細は分かりませんでした。ただ、解くカギになりそうな話もありました。

この時戦ったイギリス艦が、今度は南太平洋で日本軍と相対し沈められています。大本営発表ではそれに関して、こう報道したとありました。

「アドミラル・グラーフ・シュペーの仇を取ったぞ」

自沈したのは軍靴の響き近付く昭和14年12月。日本の首脳陣が、欧米との戦争は避けられないと予想していたのは想像に難くありません。
そうなると開戦に備えて国民の戦意を高めるために、何でも利用しないといけなくなります。

その最中に起きた友軍艦の自沈。そしてそれまでの奮闘ぶり。
この件が国民の心の琴線に触れると踏んだ首脳部は、大袈裟にでも報道し、英雄譚に仕立て上げたはないかと。
そして自分達の戦争が始まると、「仇」との言葉を使って蒸し返し、再度利用したのではないかと。

ドイツ軍内での出来事を自分達の事の様に報道した処から見ても、日本の当時の状況が浮かび上がる様に思えるのです。


Writing by  MK

大阪ミナミ出身。好物はタコ焼きときよみオレンジ。
「シミュレーションゲーム」と聞くと、正六角形のマス目を印刷した紙のボードを連想する世代。

好きな軍艦は瑞鶴。
好きな軍人はシモ・ヘイヘ。
好きな戦時中エピソードは「アメリカではキャベツの漬物を、『ザワークラウト』」と呼ぶのを禁じていた」との話。

嫌いな言葉は「昔は良かった」。

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