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日本陸軍の隼~一式戦闘機~

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太平洋戦争での日本を代表する戦闘機に零戦があります。
また同じ時期に活躍した一式戦闘機「隼」もありました。

一式戦闘機「隼」について紹介します。

目次

日本陸軍の新型戦闘機計画

昭和14年(1939年)11月に日本陸軍は以前からの新型戦闘機の計画を改めます。
この年の夏に起きたノモンハン事件で九七式戦闘機がソ連軍戦闘機と戦い九七式では性能が不足していると実感したからです。
九七式以上の速度と武装が必要とされたのです。

大刀洗平和記念館の九七戦乙型(キ27乙)
衛兵隊衛士 [CC BY-SA 3.0], from Wikimedia Commons

昭和15年になると参謀本部が対英軍を想定して遠距離を飛べる戦闘機にすべしという意見も新型戦闘機計画に盛り込まれる事になります。
太平洋戦争開戦が近い昭和16年4月に仮採用と言う形で新型戦闘機は一式戦闘機(キ43)として慌ただしく量産と実戦配備が進みます。

加藤隼戦闘隊の活躍

一式戦闘機は飛行第64戦隊で最初に配備されました。
64戦隊はマレー・シンガポール攻略作戦の支援に出撃します。
インドシナ半島南部のフコク島からマレー半島の飛行場が日本軍が占領するとマレー半島の飛行場へ移り英空軍との空戦を繰り広げます。

■ 映画『加藤隼戦闘隊』(後述)にて第64戦隊機を「演じた」明野陸軍飛行学校所属の一式戦「隼」二型(キ43-II)たち。明飛校の保有機に第64戦隊第1中隊の部隊マークである「白矢印」を描いた
東宝 (Toho) [Public domain], via Wikimedia Commons

ハリケーンやバッファローとの空戦で活躍した64戦隊は戦隊長の加藤健夫少佐を称え一式戦闘機の愛称となった隼も加えて加藤隼戦闘隊として軍歌になり映画にもなるほどでした。

戦争を通じて飛び続ける

南方戦線では航続距離1146kmの一式戦闘機の特性が生かされ遠距離戦闘機としての目的は果たすことができました。
しかし戦闘機としてはすぐに厳しい局面を迎えます。

最高速度が500km/hにも届かず武装も7.7ミリ機銃と12.7ミリ機銃が合わせて2丁づつと強力とは言えない一式戦闘機はP-40をはじめ高速で武装も強力な連合国軍戦闘機相手に苦闘を強いられます。

一式戦三型(キ43-III)
San Diego Air & Space Museum Archives [No restrictions or Public domain], via Wikimedia Commons

しかし一式戦闘機は後継機開発の遅れと稼働率の良さから前線を飛び続けます。
三式戦闘機や四式戦闘機が登場し戦争末期には一式戦闘機も特攻機になりましたがビルマ戦線では最後まで主力戦闘機として戦い続けていました。
性能の物足りなさはありましたが長い脚が必要な南方作戦の戦闘機として、主要な戦線と遠く離れたビルマ戦線では必要な戦闘機として役目を十分果たした機体と言えます。

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