一昔前に人狼ゲームが流行っていた事があった。
今は消えたというよりも、ある程度定番化して、1つの要素として落ち着いた感がある。
さて、人狼を始めとする、「動物に変化する人間」というのは、妖怪やモンスターの中にしばしば表れる。
荒唐無稽なようで、火のないところに煙は立たない。
彼らは一体、現実の何を反映しているのだろうか。
人狼の起源
狼に限らず、人間や人型のものが動物に変身するというモチーフは非常に多い。
古代ギリシャ神話の段階で、変身は定番ネタとしてスナック感覚で存在する。
ゼウスが白鳥や雄牛になって意中の相手と近付いた話もあれば、熊にして空に投げ上げられたカリストもいる。花になったパターンも多い。
もっとも、これらは神やそれに類する創造的な力の表現で、人狼とは根本的な違いがある。
いわゆる人狼については、紀元前400年代にヘロドトスが記した『歴史』にて、「ネウロイ人が1年に1度狼になる」との記述がある。
東洋に来ると、モンゴル人の「蒼き狼」といった血筋に関連する伝承など、邪悪よりも神聖性の表現に用いられる事も多い。
これは対極のようで根は同じものだ。
処女懐胎や、生物なのに手足のない蛇、多指症など、中途半端で不自然な存在は、邪悪か神聖に振り切るというのが、人類学的にしばしば見られる現象である。
伝統的な表現においては、人間のまま狼の性質を宿すパターンと、狼そのものに変身する事が通例だった。
二足歩行する藤子不二雄タイプは、1941年の映画『The Wolf Man』がイメージを決定づけたとされる。
映画がイメージを確定させた架空の存在というのは、吸血鬼やフランケンシュタインの怪物、ガンダムカラーの白雪姫など、しばしば見られる現象である。
人が狼に変じる時
さて、映画的人狼の実在のためには、変身の困難さと向き合う必要がある。
満月を見る事により変身する場合、最低限、体毛を一晩のうちに生やす必要がある。
1番早く伸びる髭で1日0.4mm程度、身体を覆う量となると3ヶ月はかかる代謝が一気に行われる計算である。
本格的な変身の場合、頭蓋骨の変形も伴う。
変身のために、何かしらエネルギーを補給するという描写はない。月光のエネルギーは、太陽の40万分の1程度なので、使えるのはほとんどが体内のエネルギーの筈だ。
だとすると、変身は肉体が代謝によって作り替えられるのではなく、変形や変装と考えた方が矛盾がない。
幾つかの伝説では「皮」をかぶる事で変身しており、変装説を裏付ける。
かぶらなくても、ハリセンボンのように、皮膚内に寝ている毛が立ち上がったり、爪が猫のように収納可能なら、そこまでリソースを必要としない。
一方、外見変化を伴わないなら、実在性はずっと高まる。
すなわち、人狼の自覚や振る舞いだけが生じる場合である。
人狼伝説の源流の1つと考えられるのが、狂犬病である。これは、吸血鬼伝説と近い構図だ。
人狼としての性質が噛まれる事で伝染するという伝承は、犬などに噛まれ発症する狂犬病の性質と一致する。
実際には、狂犬病が人間の間で伝染する事はほぼない。
だが、錯乱した感染者が森へ消え、その後狂犬病に感染した狼や野犬が森から現れ現れたらどうだろう。「狼に化けて襲いに来た」「伝染した」という結論に陥る事もあるだろう。
また、精神疾患による妄想として、人狼の自覚を持つ者がいれば、医療が未発達な時代は「実在する人狼」として扱われたろう。
この点、人狼と吸血鬼の共通点は多い。
襲われる人にとって、それが「本物」であろうと、そうでなかろうと、同様に危険であるという点も含め。
人狼の振る舞い
自覚のみの精神疾患的人狼は、隣人に存在し得る。
さて、彼らがはどのように振る舞うだろうか。
勿論、人を襲う。
襲わない人狼もいるだろうが、それは一般市民と変わらず、論ずる意味がない。
人狼が街中で人間を襲うことはまずあるまい。
現代の犯罪捜査は緻密なものだ。警察は、公務執行妨害と殺人だけは見逃さない。
仮に街中で襲ってしまった場合、『デビルマン』におけるデーモンの教えのように、「食い残しはいけません」という事になる。人間を食べた場合のカロリーは、66kgの男性で14万kcal程度。3千kcalずつ食べたとして1ヶ月以上かかる。
自覚だけの人狼には無理な話だ。
やはり食い残しを処理する工夫が必要だ。
人狼レストラン
人狼のレストランがどこにあるのか。
これについて、当然1つの結論に帰結する。
すなわち、山である。食い残しを埋める、のではない。
土が軟らかいのは人里の話で、山の地面は岩盤や樹木の根でガチガチだ。
そもそも埋める必要はない。
山で人が襲われれば、他の獣の仕業と見分けが付かない。食い残しを他の獣が喰い尽くせば、解剖できる部分も残らない。
元々獣害という認識で、事故として処理されたなら、そこまで細かい分析もされないだろう。
だがその場合、ハンターを呼び寄せる事になる。
赤ずきんを食べても、狩人に狩られては仕方が無い。
そこで人狼は考える。
何も、狩人と直接戦う事はない。
人狼としてのパワーがなくても、人間としての頭がある。
現代の狩人は、非常に制限された存在だ。人狼は狩人と戦って殺傷する必要はない。
ただ、彼らが狩りを「嫌」になれば良い。
話は変わるが、熊が狩られると、役所に全国から苦情電話が殺到するそうだ。
愉快犯もいるだろうが、全員が全員ふざけている訳でもないだろう。
主張は熊の気持ちになれ、可哀想、といった感情論のようだが、恐らくはリアルな「熊出没注意」の看板すら見た事のない輩だろう。
こんなものが繰り返されては、猟友会の皆さんもモチベーションがうなぎ下がり(誤用)だろうに。
到底、人間の所業とは思えない、人類に仇成す振る舞いである。
※画像はイメージです。
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