MENU

夏は怪談の妥当性

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。

幽霊は夏の季語である。

言われれば何となく納得出来る程度には、「夏に幽霊が出る」というイメージは根強い。
一方、幽霊が「死者の魂が恨みによって現世に残っているもの」とした場合、季節には関係がない筈である。

これはどうした由来だろうか。

目次

ホラーの季節

これには、「夏芝居」「夏狂言」「盆芝居」などと呼ばれる、江戸時代の芝居興業が元になっているとの説がある。
夏は、暑さのため客が芝居小屋に入りにくく、一流どころの役者は休む時期のため、若手が主演を務めたという。
つまり映画で言うB級作品だ。

B級作品と言えば、サメかホラーだが、 漁業国でもある日本では、サメは恐怖よりもカマボコの象徴である。
消去法でホラー芝居たる怪談が多くなるのも道理である。

夏に怪談が結び付くなら、実際の霊現象も間近である。
幽霊芝居の帰り道、幽霊っぽいものを見たら幽霊に見えるに決まっている。
これは時代を問わない。
宇宙海賊のトリップムービーを見た後は、そこらのおっさんが海賊バイケンに見えるものだ。

そしてもう1つの理由は、オカルトである。

お盆に幽霊は増える?

お盆には魂が帰って来るので、ついでに幽霊も現れる、というものである。

ここでいう「幽霊」とは、何だろうか。

まず、仏教の場合、「夏の幽霊」は理屈に合わない。
仏教の「霊」は、往生出来ずに彷徨っているものである。この発生は時期を問わない。
その後は、閻魔の裁きを受け、地獄などの管理下に置かれるか転生するかで、霊のままフラフラ動き回る余地がない。

お盆の元になった盂蘭盆会は、餓鬼道に堕ちた母親のために施しをする施餓鬼が元になっている。
これは別に霊がやって来るのではなく、食べ物を送り届けるお中元のような行事である。
そもそも餓鬼は餓鬼道に転生した者であって、身体のない霊ではない。

一方、お盆の時期には地獄の釜が開く、という説もある。
この場合の「地獄の釜」を地獄の出入り口とすると、地獄の亡者も幽霊になって出て来そうだ。
だが仏教的に言えば、地獄道に堕ちた者は、別に霊ではない。転生した状態だ。
仮に外出用に霊体が貰えたとしても、外出は、あくまで仮釈放だ。人に祟りに行こうものなら、あっという間に引き戻され、罰が加算されてしまう。
そもそも恨みを残す亡者は、比較的被害者側である可能性が高い。
地獄にいる可能性は少ないのではなかろうか。

仏教的には、幽霊には季節感がなく、地獄の仮出所で現れる霊は、幽霊と認識される可能性が薄い、というのが結論である。

神道の幽霊

神道ではどうだろうか。

霊がアグレッシブに活躍するのは、神道の発想に近い。祟りそうな者を鎮めるために神として神社に祀るのは、その1つである。
実際、お盆は仏教と習合しているが、祖霊信仰という土着信仰の意味合いの方が大きい。

神道の世界観においては、魂は転生しない。草葉の陰でのんびりしている感じだ。
この草葉は草の下の土で墓地を表すという解釈だが、無縁仏なら草むらでフワフワしてい問題ない。
だとすると、今までの死者が丸ごとフワフワしている事になる。
つまり神道の場合、幽霊はカジュアルに実在すると考えて問題ない。
ここでも、夏に多い理由はない。

日常的な結界

前提を変えよう。
幽霊は年中出現している。
だが、我々は夏にそれに出会う。
そう考えた時、糸口が見えて来る。

幽霊は、どこに出て、どこに出ないか?

家の中には、出ないのではなかろうか。
家は安全地帯であり、ある種の結界としての機能を持つ。
吸血鬼が招かれなければ入れないというのはあまりに有名だ。
風水なども合わせ、伝統的な工法の中に、文化の奥底、魂に刻まれたレベルで霊的な防備がされていると考える方が自然だ。
さもなければ、幽霊の実在する世界において、とっくに人間は淘汰されている。

幽霊屋敷は、幽霊が外に出ない事を考えれば、上記説を補間できる。
家の結界は、外からの防護であると同時に、内から外へ出さない防護でもある。
こうしておけば、家の中に発生した幽霊は、家の中に留めておけるため、共同体にダメージを与えない。

幽霊シーズン

幽霊のエンカウント場面を屋外に限って考えよう。

明るいところには出ない。
透けて見えるような存在だとすれば、光が強すぎればスダレの原理で、いても見えない。

当然、夜だ。
人が夜に外に長居するのはいつだろうか。

真冬は出歩かない。寒いからである。
でも、クリスマス時期は?
イルミネーションの光が容易に幽霊を掻き消す。

秋はどうだろう。
秋の夜長、虫の声に耳を傾ける。やはり無理である。
日がすぐに落ちるから、人は急いで家に帰る。
スピードを上げると視野が狭まるのは、自動車運転の教習で習う事だ。
虫の声を聞くのはその後、家の中だ。

では春は?
夜桜を楽しむ人はいる。
桜の下に死体が埋まって云々と、幽霊的雰囲気はあるものの、花見はやかましいイベントだ。
花見に幽霊が混じっていたら、これは怪談ではなく落語だ。

結局、夏という事になる。
夏の夜歩きは多く、キャンプなどのアウトドアの機会も増える。
これは、幽霊とも遭遇し、目撃しやすうなるだろう。

障ったかな?の前に

幽霊に出会った時どうすれば良いか?
相手の領域を侵した非礼を詫び、自分の信じる禊ぎの儀式を執り行い、幽霊の穢れを祓う。
これが答えだ。

幽霊は本質的には脆弱な存在と考えるべきだが、冒涜行動は御法度である。
オカルトは文化の1側面であり、人格形成に食い込んでいる。
表層では認めていなくても、深層心理に幽霊に対する畏怖があると、心が自ら暴走する。
それは、霊の存在の有無とは関係なく、「霊障」を発現させる。

これを防ぐ為には、自分が納得出来るだけの幽霊を尊重した態度を取る事である。
理屈よりも、禊ぎの儀式の方が深層心理には刺さる。
儀式は線香を焚いても良いし、お経を唱えても良い、手を洗っても良い。信じている宗教組織にお金を払い、お祓いを受けても良い。自分が納得出来るだけやれば、それで収まる。

それでも付きまとわれるようなら。
心の病を疑おう。
霊障が当たり前になった時は、手遅れだ。

※画像はイメージです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

どんな事でも感想を書いて!ネガティブも可!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次