「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句がある。
これは、幽霊の正体を明るくなってから見たら、枯れた尾花(ススキ)だった、という意味になる。
だが、人を煩わせているものが、「尾花の妖怪」の祟りであるとすれば、「正体見たり」とホッとしてもいられないのではないか。
枯れ尾花の出典

まず「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の出典に触れておこう。
作者ははっきりしている。
江戸時代、尾張藩の武士であり俳人の「横井也有(よこいやゆう)」である。
彼は、化物の正体見たり枯れ尾花という句を詠んでおり、これが人伝するうちに「化物」が「幽霊」に置き換わったとされる。
ススキの朧気で柔らかな様子は柳に通じ、いささか線の太い「化物」よりは、裏が透けて見えそうな「幽霊」の方がイメージは合う。
俳人である横井也有もそれを検討したかも知れないが、敢えて俗っぽさを表現するため「化物」をチョイスした可能性はある。
彼は他に「健康十訓」を提唱したとされている。
- 少肉多菜
- 少酒多果
と続いていくもので、現代でも見た事がある人はいるのではなかろうか。
自分は、どこかの居酒屋のトイレにかかっているのを見た事がある。
さて、彼がこの句にあるような物事を体験した、という故事は残されていないようだ。
従って、彼が一般論としてこれを詠んだのか、何かしらの事実に基づいて詠んだのかはこちらの想像で補完する他はない。
尾花の妖怪は存在するか
さて本題に入ろう。
ススキの妖怪というのは、実際問題存在するのだろうか。
怪異・妖怪データベースで検索したところ、「両葉のすすき」という、四葉のクローバーのようなものと、源頼朝が地面に挿した箸がススキの草むらになったという話が出て来ただけだった。
では、少し範囲を広げて、植物の妖怪となるとどうか。
- 死体を埋めた後から銀杏が生え、伐ろうとすると幽霊が出た
- 死体を埋めた後に生えた桜を切ると、血のような樹液が出る
- 化け猫を殺して埋めた跡にカボチャが生え、食べた人が死んだ。カボチャは、猫の頭蓋骨から生えていた
- 桜の枝を切ったら病気になった
- 芽柳を抱いて寝ると犬猫になる
- 枝の下を撫でると笑う木がある
- 下で休むと必ず眠り込んでしまう松
- 身体の表面を葉で覆って人間のように歩く狸
といったものが出て来た。
これらから推察されるのは、植物そのものに意思や力があるというより、何かしら恨みや力を持つものの影響で、植物が常識外れの振る舞いをする、というのが正解のようだ(狸の仕業でなければ)。

「見た事は事実」という考え方
幽霊や化物の後に枯れ尾花を見つけたら、油断はすべきではない、というのが答えだろう。
先の血の出る桜の話からも分かるように、植物にオカルトめいた現象が起きる時、多くの場合問題は土の中だ。
上に見えるものは、その一端に過ぎない。
あなたが確信を持って「見た」と思ったなら、その感覚を無理に笑い飛ばしたり、打ち捨てたりする事はない。
そこにあるのが枯れ尾花だったとしても、その「下」にあるものに気持ちを向け、供養のため合掌したり、頭を下げたりするのは、決して無意味ではない。
あなたの心にある文化に根差した宗教心、オカルト感覚は、無意識のうちに心を操り体に現象を引き起こす。
これを手早く解消するには、オカルトが適している。
お祓いやお参り、線香をあげるなど、あなたの内心を納得させる宗教儀礼は、理性が考える以上にパワフルに心に作用する。
これは、オカルトというより、人類学的知見の範疇の話だ。
そういう畏怖を上手く使って、我々は数万、数千年も文化を繋いで来た。
その文化によって自我を形成した我らが、近現代的手法のみで心を安らかにしようと頑張るのは、少々骨の折れる事と言えるだろう。
幽霊が枯れ尾花だったとしても、「幽霊を見た」というあなたの心を、疎かに扱ってはならない。
※画像はイメージです。


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