「かしまさん」の身に起きた悲しい過去を知ってしまうと夢に現れ、彼女の質問に適切な回答ができなかった場合、手や足を切り落とされたて死んでしまう。
不条理な怪異、「かしまさん」とはなにかを考察していきます。
かしまさんの怖い話
「かしまさん」の話を知らない方の為に、まずは概要をお話しましょう。
戦争が終わったばかりで米軍の占領下にあった頃、町で駐留している米兵に巷で美人と有名な女性が襲われ、弄ばれた後に両手足を銃で撃たれてしまう。瀕死の彼女は偶然に通りかかった医者に助けられて命を繋ぎとめたが両手両足を失ってしまい、プライドもズタズタにされて電車に身を投げて自殺してしまった・・・。
この話にはいくつかのバリエーションがあり、「郵便配達員が米兵に両手足を撃たれて死亡した」「強姦のショックで身投げした」といった異なる伝承が語られています。
そんな事があるのか?と思う方もいるでしょうが、戦後、米軍統治下の日本では米兵による性犯罪が多発していた事は歴史的事実として記録されていて、必ずしもウソとは言い切れません。
そして、なぜ知ってしまうと危害を加えられる理由は、美人でプライドの高い「かしまさん」にとって、手足を無くしたことは美しい自分でなくなる事。それは自らが死んでも、決して他人に知られたくない事実だからです。
経緯は問わず、不幸にも「かしまさんの話を知ってしまう」と、夢や電話を通じて彼女が現れ、「手をよこせ」「足をよこせ」と要求し、「この話を誰から聞いたのか」と問いかけ、適切に答えられなかった場合、彼女に手足を奪われ、最悪の場合は死に至るとされます。
かしまさんの正体と意味
「かしまさん」は、戦後日本における暗い歴史や社会問題が生んだ怪異ではないでしょうか?
単純な呪や祟りといったシロモノではなく、個人の尊厳を侵害されることへの悲しみや怒り、戦争や抑圧を経験した人々が抱えた負の感情が投影されていると言えるでしょう。
この怪異の正体については以下のような解釈が考えられます。
戦争の犠牲者としての「かしまさん」
「かしまさん」の話に登場する女性の悲惨な運命は、戦後の混乱期に実際に起こったであろう、数多くの悲劇を暗示している可能性があります。
戦争直後の日本では、米軍による犯罪や女性に対する抑圧が問題となっていました。
こうした状況下で、「かしまさん」の話は「戦争の犠牲者」を象徴する存在となり、女性の尊厳を踏みにじられたことへの抗議の表現として語り継がれたのではないかと考えられます。
戦後、女性や弱い立場の人々の直接的には言葉にできないほどの痛みや怒りが、無意識の中に溜まっていき、「かしまさん」という存在が語られることで、こうした抑圧された感情が形を持って現れ、人々の口伝えによって残されていったのです。
戦争の惨禍と記憶の象徴
「かしまさん」の特徴である、四肢の欠損は戦争の残酷さと人間の無力さを象徴しているようです。
彼女が受けた身体的な損傷は、戦争によって身体や心を傷つけられた人々の苦しみを体現しており、戦争が人々に何をもたらしたのかを、怨念のような訴えかけであり、「負の歴史を伝える記憶」の役割を持っているのでしょう。
「かしまさん」の姿は、体の一部を欠損した女性とは限らず、「体がケロイド状の女性」「旧日本軍の軍人」などの姿で登場するパターンもあり、この事を裏付けていると思うのです。
かしまさんの思いと訴え
「かしまさん」は、女性の尊厳が侵害された事実が自身の誇りと尊厳を失わせ、結果的に命まで奪われることになった悲劇を象徴しています。
「かしまさん」の話が語られる中「美しい自分の姿であり続けたい」という彼女の願いが強調されているのは、女性の容姿や尊厳が抑圧や社会的制約の中で失われていく過程を表しているとも解釈できます。
このことから、かしまさんは、女性が不条理な立場に置かれた屈辱や悲しみを反映し、時代や状況が変わっても消えることのない思いを象徴しています。
そして、報われない無念と苦しみは復讐心となり、不幸にも彼女の思いを知ってしまった無関係な者に牙を向きます。不条理には不条理、これは彼女が元は人間だった証であるように思えるのです。
集合的無意識による創造された恐怖の象徴
都市伝説として語られる「かしまさん」は、個人の恐怖や不安だけでなく、時代の暗部が集合的無意識に蓄積され形を得た存在とします。
このような噂が広がる背景には、社会全体が抱える根深い負の感情や抑圧があり、人々はこれを「見えない恐怖」として共有し、象徴化しているのです。「かしまさん」が様々な地域や形で語られるのも、恐怖が多くの人に共通する経験であることを示しているのかもしれません。
また、「かしまさん」が「夢」や「電話」といった個人の身近な領域に侵入する形を取るのも、社会が抱える不安が「生活に入り込み、無視できないもの」として意識されることを意味します。
「かしまさん」は言葉にならない無意識の恐怖を代弁しており、人々の中で永続的にその存在を維持する象徴です。
かしまさんを考える〜まとめ
「かしまさん」とは、戦争の犠牲者としての怨念、惨禍の記憶、女性の尊厳の喪失、そして社会全体が抱える無意識の恐怖が複合的に絡み合って形成されたものと考えられます。
負の歴史が生み出した「決して忘れられてはならない記憶」の象徴なのかもしれません。
両手足を失い、かつての美しさも尊厳も奪われた彼女は、憤りと悲しみに満ちた亡霊として現れ、自らの存在が伝えられる度に怨念を込めて問いかけます。
その問いは、彼女が死してなお、痛みと無念の中で囚われ続けていることを人々に知らしめ、暗闇から静かに忍び寄る「不可視の影」として、現実と夢の境界を曖昧にさせるのです。
夢や電話という身近な手段を通して侵入してくる「かしまさん」の怨念は防ぎようがなく、いつか自分にも訪れるかもしれないという恐怖を感じさせます。
「手をよこせ」「足をよこせ」という言葉は、彼女の無念と苦しみが未だ消え去らないことを意味し、私たちの心に訴えかけるのです。
「かしまさん」が求めている答えは存在せず、怨念を和らげる為に不条理な不幸を知ってしまった人々に与えるだけ。
この怪異が語られる度に、私たちは心のどこかで理解するのです。
かしまさんの無念と憤怒は永遠に続き、自分たちの世界に足を踏み入れてくるのを防ぐことはできないのだと。
※画像はイメージです。
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