第二次世界大戦のドイツ空軍で一戦線の総司令官となった1人の元帥が居ます。
彼はアルベルト・ケッセルリンク空軍元帥
稀有な立場に置かれたケッセルリンクの戦歴を2回に分けて紹介します。
砲兵から空軍へ
1881年にバイエルンで生まれたケッセルリンクは第1次世界大戦では砲兵士官として西部戦線で従軍していました。
戦後はベルサイユ条約で10万人に制限されたワイマール共和国陸軍に残る事ができたケッセルリンクに転機が訪れたのはヒトラー政権が取った1933年です。
ケッセルリンクは陸軍から再建される空軍へと移る事になったのです。一時軍籍を離れますが35年の再軍備宣言で空軍が公式に再建される間に航空機について学び飛行資格を50歳近くで取得していました。
航空艦隊から地中海戦線へ
空軍将校となったケッセルリンクは1936年に中将に昇進
第二次世界大戦が勃発した時には第1航空艦隊司令官としてポーランド戦を第2航空艦隊司令官でオランダ・ベルギー侵攻にバトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦で指揮を執ります。
1940年に空軍元帥となっていたケッセルリンクは1941年11月に新たな司令官に任命される。
それは地中海方面を指揮する南方総軍の司令官です。
イギリス軍の基地があるマルタ島を爆撃する作戦の指揮を行いましたが主に同盟軍であるイタリア軍との交渉に最前線である北アフリカで戦うロンメル将軍との調整など空軍の枠を超えた役目を担うようになります。
イタリアの政変
1943年に入ると地中海方面は北アフリカでの敗退により連合国軍がイタリアへ向けて北上する局面に移ります。
シチリア島を攻略した連合国軍は9月3日にイタリア本土に上陸するとイタリアで政変が起きます。ムッソリーニが失脚してバドリオ提督による新しい政府が樹立しました。
ヒトラーやOKW(国防軍最高司令部)は新政権のイタリアが同盟を解消するのみならず敵に回る事を懸念していました。
これはイタリア本土が連合国軍の勢力圏となり南から連合国軍がドイツ本国を攻める事を恐れての事です。
9月8日にバドリオはイタリアの降伏と連合国との休戦成立を宣言
イタリア戦線は急展開を迎えます。
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※画像はイメージです。
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