デジャブ、いわゆる既視感というものですが、一般的な言葉として知られるだけあって多くの人が体験するものだと思われます。
私自身も「あ、これ前にもあった」と感じる出来事が年に数回はありました。しかし、気づけばまったく体験しなくなっています。
そこで、この既視感(デジャブ)がそもそも何なのか考えてみます。
デジャブの正体
まず前提として、デジャブは超常現象ではありません。
そもそもデジャブはフランス語で「すでに見た」という意味を持つ言葉です。
未来予知でもなければ、特殊能力でもなく、脳の情報処理に起こる一瞬のズレ。
どういう事なのかを調べてみれば、脳の海馬などの記憶関連領域で「初めてか?経験済みか?」が瞬時に照合され、この処理がわずかに同期ズレを起こすと、「今見ているものがすでに記憶にある」と誤認されることがあるのです。
つまり、体験していないのに「体験済み」とラベルが貼られだけのの話で、そこに神秘性はなく脳のバグに近い現象。
そして、体感として「若い頃のほうが多かった」と感じる人は少なくないでしょう。
その理由は脳の処理速度や新規刺激への反応が活発な時期ほど、照合エラーも起こりやすいから。
経験が蓄積され、日常がパターン化されるにつれて、新鮮な刺激は減り、結果、既視感も減る。
意味を探したくなる気持ち
問題はここからです。
デジャブで体感した事は妙にリアルで、「本当に前にあった気がする」という確信に近い感覚があります。
すると誰しも、前世、並行世界、未来の記憶と言うような意味を付けたくなる。
若いからこそ、厨二病解釈だといえばそれまでですが、歳を取ったいまだからこそ思えるのが、本能的に偶然や誤作動だと感じ取り、それをそのまま受け入れる不安から装飾して解釈したのかもしれません。
「何かのサインかもしれない」と少しだけ期待できたけれど、でも今となっては、ただの認知現象だと理解してしまった。あれだけ不思議で、妙に意味深だった感覚が、実際には神秘でも何でもないと分かってしまう。
ロマンはなく、成熟に伴う変化というべきか、老いという現実を叩きつけられ、なにかの歌にあるように、「思い出すことは出来ても二度と感じる事はできない」事を残念に感じます。
だからあえて伝えたい
デジャブは特別な能力ではなく、未来の暗示でもない。
一瞬の情報処理のズレであって、それ以上でも、それ以下でもない。
体験しても人生は変わらないし、体験しなくなっても何も失っていない。
不思議ではあるが、深刻に語るほどのものではありません。
なにか悲観的になるようなデジャブを感じてしまっても、若い頃だからこその感覚と思って楽観的に。
実質、私も「あの頃に感じた既視感は意味があったのか?」と考えたとして、答えは「そんな事は無い」ですはい。
※画像はイメージです。


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