私が、幼稚園の頃におじいちゃんとおばあちゃんに聞いた話です。
私のおじいちゃんは太平洋戦争で、病院船に乗って傷ついた兵隊の手当をしていました。
おばあちゃんは、疎開して長崎の雲仙にいたのです。
なぜ戦争の話を幼稚園の頃に聞いたというと、小学生の時まで福岡に住んでいて、当時の福岡では、幼稚園の頃から戦争に関する勉強をしていました。
終戦の日8/15になると、幼稚園や学校では空襲警報がなります。
戦争とはなんなのか聞いてみないと分からないため、実際に体験したおじいちゃんとおばあちゃんに話を聞きたいと母に頼んでみました。
そこでは衝撃の事実があったのです。
恐怖!空襲でのB29爆撃機
B29は爆弾を多く詰めるというメリットがあります。広範囲に渡り攻撃をすることができるから太平洋当時に使われていた、アメリカの爆撃機です。
ですが爆撃ではなく、小型のマシンガンのようなものでも攻撃を受けたという話でした。
私のおばあちゃんは、長崎の雲仙に疎開していましたが空襲にあいました。
着物を積めた柳行李(やなぎごおり)を背負い、マシンガンでバンバン撃っている中を逃げ回っている最中に背中を撃たれました。
運が良いのか悪いのか分からないですが、弾が着物の最後の1枚で止まっていて九死に一生を得るでした。
ですが後遺症で生活をするのが厳しく、外に出られない生活が続いたそうです。
その後8/8に長崎市に原爆が投下されました。
雲仙にいたおばあちゃんは、きのこ雲を見たようです。
その時、これで戦争は終わったと予感し、数日後に実際に戦争は終わりました。
衝撃!アメリカ軍は赤十字船を攻撃した
こちらはおじいちゃんの話です。
病院船で兵隊のケガの手当をしていたおじいちゃんですが、最初は大変だな~としか思っていませんでしたが、話を聞いていくと、とんでもないことを知ってしまったのです。
戦争が終わり、日本軍は引き上げの最中でした。
病院船なので、赤十字の旗を立てていました。
赤十字の旗に攻撃してはいけないというルールがあるのですが、アメリカ軍が赤十字の船を攻撃しだしたのです。
降参しているにも関わらず攻撃をやめなかったのです。
おじいちゃんの上司は、おじいちゃんや他のみんなに「船の中に入っいろ!」と言ったそうですが、上司はアメリカ軍の攻撃の餌食になってしまいました。
こんなことがあっていいのか?とも思いました。
おじいちゃんは、私に言いました。
「もうないと思うけど、もし戦争が起こったら殺されても良いから行くな」と。
最後に
これ以外にも戦争についての幼稚園の頃に聞き、戦争の恐怖を話の中から感じられました。
私は遊びでも、サバイバルゲームやオンラインゲームでのFPSなどが、話を思い出し全くできなくなっています。
本物ではないから、サバイバルゲームやFPSをやるのは、問題ないと思っていますが、実際に起こるとどうなるかを考えていただければと思っています。
平和な日々が続くように願っています。
せめてゲームだけにしてほしい。
私がおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことを、私なりにまとめてみました。
※画像はイメージとして使用していますので、記事の内容とは違う場合があります。例えば「病院船」の画像に「氷川丸」を使っていますが、イメージしやすいようにの配慮です。
※B29が機銃掃射?と疑問に思う方がいると思いますが、米軍機の総称が「B29」である可能性がありますので、証言したおばあさんが嘘の証言をしている訳ではありません。
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コメント一覧 (1件)
ぱとぱとさん、初めまして。
こちらに寄稿させていただいているMKです。
お話の後書きの件ですが、B29から爆撃でなく機銃掃射受けた話は私も聞いたことがあります。
その話の体験者によると、海岸に住まいを構えていたところ、
「B29が低空飛行してきて、通り過ぎざまに腹部銃座から撃たれた。その時の銃座手が笑っているのが見えた」
とのことです。
機銃掃射と言えばグラマン戦闘機ですが、それらには腹部銃座は無いので、戦闘機を「B29」と呼んでいたわけでは無さそうです。
また、私の母(昭和一桁生まれ)によると、当時は一般人でも戦闘機を「グラマン」爆撃機を「B29」と呼び分けていたとのことです。
お婆さんはやはり、米軍機をひっくるめて「B29」と呼んでいたのではなさそうですね。