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戦艦「金剛」型の戦い

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太平洋戦争で最も活躍した戦艦である「金剛」型
その戦いを解説します。

目次

高速戦艦となった「金剛」型

「金剛」型が同型艦に「比叡」・「榛名」・「霧島」で合わせて4隻あります。大正4年(1915年)までに4隻は竣工
その後、防御力や機関部になどを改造する二度の大きな改装を経て、「金剛」型は最大で29ノット以上で航行できる「高速戦艦」になりました。

太平洋戦争での出撃

「金剛」型戦艦が実戦に初めて出撃したのは、第1次世界大戦の時です。
この時は敵であるドイツ軍の艦隊を警戒しての出撃で、戦闘は起きませんでした。
次いで実戦の出撃は太平洋戦争になります。

真珠湾攻撃を行う空母機動部隊の護衛に「比叡」と「霧島」
マレー半島攻略作戦の支援に「金剛」と「榛名」
と分かれて開戦に臨みます。

航空機で敵戦艦を撃沈した事もあり、「金剛」型が戦う事はありませんでした。
開戦の翌年、昭和17年(1942年)3月に「比叡」と「霧島」はクリスマス島近海で米駆逐艦「エドソール」に砲撃をします。
初めてとなる敵艦の砲撃でしたが、巧みに回避する「エドソール」に命中させられない。
空母から九九式艦上爆撃機の応援で「エドソール」を止め、ようやく砲撃で撃沈しました。

「金剛」型戦艦の最期

昭和17年3月26日に「金剛」型4隻は空母機動部隊の一員として、インド洋へ出撃します。
これが4隻揃っての最初で最後の作戦になりました。
その後のミッドウェー海戦や第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦で空母機動部隊の護衛や前衛を努めます。
一方で「金剛」型は戦艦として能力を発揮します。
10月に「金剛」と「榛名」がガダルカナル島の飛行場砲撃、飛行場の機能を一時停止させて日本軍輸送船団の前進を成功させます。

11月には「比叡」と「霧島」がガダルカナル沖で戦艦「ワシントン」の米艦隊と第3次ソロモン海戦を戦います。
しかし、この海戦で「比叡」と「霧島」が沈んでしまいます。
残る「金剛」と「榛名」は昭和19年(1944年)のマリアナ沖海戦では空母艦隊の前衛として戦艦「大和」や「武蔵」と並び出撃します。

レイテ沖海戦では「金剛」が米護衛空母「カンビア・ベイ」を追い続けて撃沈したとされる。
この海戦後に「金剛」は台湾沖で米潜水艦「シーライオン」によって撃沈されてしまいます。
最後に残った「榛名」は昭和20年7月に呉軍港の空襲で大破着底しました。
高速戦艦として、太平洋戦争のはじまりは各地の戦場を駆け回り。

元来の戦艦としても主砲でも戦った「金剛」型
太平洋戦争の主な海戦を戦い、日本海軍の戦いぶりを象徴する戦艦といえました。

参考資料:
丸1月号別冊「第二次世界大戦日本の戦艦大百科」潮書房光人新書
MILITARY CLASSICS Vol.76 「金剛型高速戦艦」イカロス出版

featured image:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

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